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月刊心臓

編集後記 (2018年)

2018年12月号

 今年は、雑誌「心臓」にとって記念すべき第50巻であった。1969年に創刊された和文誌「心臓」の50年の歴史が、わが国における循環器診療の50年の歴史と深く重なることは言を俟たない。編集委員の想いも込めて、HEART's Selectionの1号~7号では「循環器疾患診療50年を振り返って」と題して、虚血性心疾患、不整脈、心不全、弁膜症、高血圧、心筋疾患、先天性心疾患の歴史を取り上げ、略年表もまとめた。8号~11号では50年の歴史を踏まえて将来の方向性を示す「循環器疾患診療のFuture Topics」を血管疾患、心臓血管外科、循環器救急、循環器疾患イメージングについて取り上げた。これが循環器診療の新たな旅立ちの一里塚となることを期待したい。
 循環器診療の50年を振り返ると、有名人のエピソードを契機に循環器診療が注目を浴びた話が多々思い浮かぶ。1980年、時の大平正芳総理大臣(70歳)が虎の門病院へ急性心筋梗塞で入院し、亡くなったのもその代表例である。総選挙の公示当日、第一声を挙げた後に気分不良となり緊急入院。一旦は落ち着いたが、13日目の未明急変して死亡。山口洋先生が1973年に虎の門病院に赴任され冠動脈造影法は広く行われ始めていたが、急性心筋梗塞に対する積極的治療は未だであった。Rentropのストレプトキナーゼによる冠動脈内血栓溶解療法の報告が1979年であり、わが国でウロキナーゼ冠動脈内注入法が行われ始めたのはこの大平事件の後であり、HartzlerがPTCAの再灌流療法としての有効性を報告したのは1983年である。その後のわが国の急性心筋梗塞に対するPrimary PCIの普及ぶりは目を見張るものがあるが、1980年には為す術がなかったのだ。
 心房細動による心原性脳塞栓症のエピソードには事欠かない。1985年の田中角栄元首相(66歳)に始まり、2000年の小渕恵三首相(62歳)、2004年の長島茂雄巨人軍名誉監督(68歳)などなど。この方々がワルファリンを服用していたという話は勿論ないし、ワルファリンによる抗凝固療法の抗血小板薬に対する優位性が確立して、心房細動による心原性脳梗塞の予防に関する啓発活動が高まったのもこれらのエピソードの後である。
 新しい診療法の普及が、医学的な活動だけではなく、社会での出来事にも大きく影響されることは明らかであり、また積極的に社会へ働きかける必要性も認識しなければならない。循環器診療の将来像として挙げられているAIの活用、iPS細胞による再生医療、ロボット手術、Precision Medicine、アンチエイジング治療なども、どんなエピソードを契機に一気に広がるのであろうか、目が離せない。
                                 (山口 徹)

2018年11月号

 「心臓」創刊50周年記念のHEART's Selection特集も終わりに近づいた。今回は画像診断をテーマとした。循環器イメージングのFuture Topicsとして、5名の新進気鋭の先生方にご寄稿をお願いした。循環器診療における画像診断の重要性は高く、我々は多くのモダリティを日常診療に利用している。近年の画像診断の進歩は著しく、より高解像度で鮮明に、より非侵襲的に、そしてstructural heart diseaseをはじめとする新しい治療法に必須のものとなっている。
 FFRガイドPCIの有効性が大規模臨床試験で示され、虚血を機能的に証明することの重要性が再認識された。FFRの測定は冠動脈内にガイドワイヤーを挿入する侵襲的なものであるが、現在ではCTで近似する値を求めることができる。冠動脈プラークの性状は冠動脈内にIVUSを挿入して評価するが、MRIで非侵襲的に判定できるようになった。心筋性状は生検標本に替わり、まだ克服すべき課題はあるものの、MRIでファブリー病、アミロイドなど評価可能である。TAVIの実施施設は増加し、急速に普及しているが、術前CTは必須の検査となっている。また、MRに対するカテーテル治療が開始されたが、術中のTEEでのモニタは欠かせない。
 一方で、我が国の人口あたりのCT、MRI装置の台数は世界一である。医療費、被ばく、被験者の身体的・精神的な負担を考慮し、最適な治療を行うために、最適なイメージングの選択が、我々に求められていることを改めて認識したい。
                               (竹石恭知)

2018年10月号

 今回のHEART's Selectionのテーマは循環器救急のFuture topicsで4編の寄稿があった。3編は心不全に関するもので、残る1編は心筋梗塞の発症予防に関するものではあるが、急性期ならびに慢性期の心不全予防にもつながるものと考える。今、まさにこの心不全パンデミックにどのように対応するかが大きな課題である。
 急性心不全では病態に応じた治療が望まれるが、その病像スペクトラムは広く、また救急現場で患者が呼吸困難を訴え血行動態も不安定である状況では、対処療法が優先されてしまうことが少なくない。本誌に掲載された「急性心不全に対する初期対応から急性期対応のフローチャート」は包括的な内容を有するフローチャートであるが、これだけ多くの基礎心疾患を鑑別するには、豊富な知識と経験、そして日々のトレーニングが必要と思われる。
 近年、Structural heart diseaseにおけるインターベンション治療が広く行われるようになった。本邦ではASに対するTAVIが広く行われているが、 MRに対するTMVR等もあり、今後、技術やデバイスのさらなる発展によりインターベンション治療の安全性・確実性が向上していくことが期待される。当施設ではASに対するTAVIの適応は、原則として80歳以上で、ASに起因する症状を有し、手術ができない高リスク例に限定している。このため、合併症で入院期間が長引くこともありこの治療法のメリットが活かされない例もある。私見ではあるが、TAVIは低侵襲であることが最大の長所であり、今後は従来、手術適応と考えられたより若年層への適応拡大が望まれ、そのためには耐久性を考慮した新たなデバイスの開発が必要と考える。
 当施設で、20歳~30歳代の劇症型心筋炎の患者で2週間前後ECMOを装着したにもかかわらず、経過中QRS波形が消失し、救命できなかった数例を経験した。10数年前ではあるが、劇症型心筋炎の患者でECMO離脱後に心不全が改善せず、心臓移植待機中に感染症を契機に全身状態が悪化し亡くなられた例も経験している。このような例にDestination therapyが行えていればと思う。これらは近い将来にさらなる発展が期待される分野である。新しいデバイスにより治療法が変わり、重症患者の予後も改善されることは、非常に魅力的で大きな期待を寄せるところである。しかし、その一方で、新しいデバイスの普及には医療経済の観点も考慮する必要があると考える。
 急性心筋梗塞症で発症前の前兆を感じた時点で受診するよう勧める試みは、たしかに「言うは易く行うは難し」ではある。しかし、医療費の大きな負担は少なく、早期により確実な医療が受けられる可能性がある。そして結果的には医療費の軽減、健康寿命を延ばすことにつながる。医療が発展し、新たな薬剤やデバイスが開発され、その恩恵を受ける一方で、今一度"予防の重要性"を認識し直し、原点に立ち戻り、発症予防への積極的な取り組みも考えていくことが肝要である。
                               (木村一雄)

2018年9月号

 現在に繋がる心臓血管外科手術は、1944年のBlalockによる体肺短絡手術、1953年のGibbonによる人工心肺を用いた心房中隔欠損症閉鎖術を緒にして発展してきた。その後、1955年におけるDeBakeyによる解離性大動脈瘤に対する手術、1961年のStarrによる人工弁置換、1964年のKolesovによる内胸動脈‐左前下行枝バイパス術が行われ、順次、先天性心疾患、虚血性心疾患、弁膜症および胸部大動脈疾患という心臓血管外科の主要疾患の術式が確立されていった。わが国では欧米より大きく後れをとったが、1951年に動脈管結紮術、Brock手術、ファロー四徴症に対する体肺動脈短絡術、1952年に僧帽弁狭窄症に対する用指交連切開術が開始された。1956年に人工心肺を用いた開心術が複数施設で立て続けに成功して、世界の仲間入りを果たした。しかし、複雑な心内修復を行うことは極めて困難であった。雑誌「心臓」が1969年に創刊されて間もない1970年代には心筋保護液の研究が急速に進み、Hearse, Braimbridgeによってcold cardioplegiaの確立が行われた。わが国でも1980年代前半にはcardioplegiaが導入され、無血視野で確実な心内修復や置換手術を行うことが可能となったのである。
 その後、手術技術の進歩とともに人工心肺装置、心筋保護法、人工弁、人工血管、術後管理法が改良され、現在のように複雑な病態においても安定した優れた成績で治療が行えるようになった。心臓血管外科は常に循環器診療の新しい時代を切り拓いてきた。今や標準治療となっている冠動脈インターベンション、ペースメーカー装着、心房細動をはじめとした不整脈のカテーテル治療はいずれも心臓血管外科医の並々ならぬ努力の中から開発された術式に端を発している。ここ数年で急速な拡がりを見せつつあるTAVIやMitraClipも弁置換手術、Alfieri stitch法から生まれてきた。
 これからの心臓血管外科はどこに向かっていくのであろうか?50年後はどうなっているであろうか?想像することはこの上もなく楽しいが、おそらくわれわれの想像をはるかに超えた技術レベルに到達していることは間違いない。今号の心臓血管外科のFuture-topicとして4テーマを選んだが、その理由は明確である。虚血性心疾患、弁膜症、大動脈疾患、重症心不全治療のそれぞれの"近"未来像をここに集約したいとの思いから生まれた。各稿とも心臓血管外科の現在のみならず、無限大の近未来を感じさせてくれる優れた内容である。
 雑誌「心臓」は半世紀を経て、新たな時代に入った。心臓血管外科はかつての循環器内科との反目の時代からハートチームの時代へと確実に歩みを進めている。すでに新たな時代が到来する前兆であろう。
                           (小野 稔)

2018年8月号

 雑誌「心臓」が発刊50周年を迎えた。研修医になりたての頃、すなわち40年余り前から雑誌「心臓」は私にとって特別な存在であった。当時は教科書や専門書はほとんどなく、私にとっての内科の教科書は"新臨床内科学"か"ハリソン"であり、邦文の循環器専門雑誌は雑誌「心臓」のみだった。パソコンやネットは存在せず、調べものはIndex Medicusか医学中央雑誌を指でめくった。ようやく論文を見つけ出してもfaxで取り寄せるという週単位の仕事であった。そんな時の私の奥の手は雑誌「心臓」だった。循環器でわからないことがあると、図書館に行き、雑誌「心臓」を過去数年に遡ってめくった。知りたい思うことがどこかにあった。雑誌「心臓」は学会誌とも異なり臨床的、表紙もあか抜けており、内容も格調高いと感じていた。その雑誌「心臓」の編集委員として50周年記念号に委員の一人として関われることは望外の喜びである。
 さて、本号の企画は"血管疾患診療のFuture Topics"である。血管疾患の治療、イメージング、アンチエイジング、再生医療、先制医療にフォーカスしてそれぞれの第一人者にご執筆いただいた。特集の主旨をよく理解いただき、現状と課題、そして将来展望まで言及していただいており、ぜひ、一読いただきたい。
 この50年で日常生活をみても、固定電話からスマホ、手動計算機から電卓さらにはAIへと長足の進歩がある。Sir William Oslerが『A man is as old as his arteries.(人は血管とともに老いる)』という言葉を残して100年以上が経った。血管病解明の光が見えているようにも思えるが、まだまだ道半ばと思う。これからの50年に期待したいがイメージがわかない。雑誌「心臓」100周年の特集はどうなっているだろう。叶わぬ願いではあるが、見たい気もする。
                                (山科 章)

2018年7月号

 循環器疾患の50年を振り返る企画として、先天性心疾患を取り上げた。1900年代初期には先天性心疾患という概念がやっと認識されてきた時代であり、初めて先天性心疾患の治療として動脈管開存症に対する結紮術が行われたのが、今から80年前である。
 1950年代からは心臓カテーテル検査、血管造影などの検査法の進歩により、先天性心疾患の診断が的確に行われるようになり、また、人工心肺装置の開発により、多くの先天性心疾患の手術が行われるようになった。
 先天性心疾患の診断に関して最も大きな影響を与えたのは心エコー法の開発である。当初のM-modeエコーから、2Dエコー、カラードプラ法、3Dエコー、経食道エコー、スペックルトラッキング法など多くの技術が開発され、的確な診断に役立つとともに、その後の心機能評価にも大きな貢献があった。
 外科治療では、Konno、Kawashima、Nikaido、Yasuiなど本邦の多くの心臓外科医が種々の手術方法を考案し、世界に発信している。また手術成績に大きな影響を与えたのが、カテーテルインターベンションの進歩である。大血管転位に対する心房中隔裂開術はその代表であり、現在も動脈管ステント留置と両側肺動脈絞扼術と組み合わせたハイブリッド治療が行われている。また肺動脈狭窄に対する拡張術、動脈管閉鎖、心房中隔欠損閉鎖などもカテーテルインターベンションで行われるようになり、患者に対する侵襲は低減された。将来は右室流出路の再建後の症例に経皮的肺動脈弁植え込みも期待されている。
 薬剤に関しては、初期に行われていた強心薬治療から、血管拡張薬の開発が治療成績の向上に大きく貢献した。特に肺血管拡張薬は先天性心疾患術前、術後の肺血流量を調節するために重要であり、プロスタサイクリン、一酸化窒素、PDE5阻害薬、エンドセリン受容体拮抗薬などが先天性心疾患患者の予後を改善している。また動脈管拡張作用を持つプロスタグランディンの開発も動脈管依存性先天性心疾患の治療成績に大きな影響を与えた。
 今後、本邦の大きな問題の1つとして挙げられるのが心臓移植である。現在手術成績の向上とともにほとんどの先天性心疾患患者は成人を迎える。成人先天性心疾患患者で術後の心機能悪化例に対しては心臓移植以外救命できない場合がある。今後は移植登録ドナーを積極的に進めて行く必要がある。  (住友直方)

2018年6月号

 本特集は「心臓」の50周年企画の一環として、心筋症の研究、診療の現況をまとめたものである。筆者が医師になり循環器内科医を目指したころの心筋症診療と言えば、拡張型心筋症(当時はうっ血性心筋症と言った)には基本的に治療はなく、ジギタリスを使い、フロセミドでうっ血を解除したあと、3カ月間の入院安静加療が標準治療であった。欧米では心臓移植が行われていたが、日本では別世界における無縁の治療法であった。肥大型心筋症の治療法も確立しておらず、当時臨床に使われ始めた心エコーやドプラーエコーを用いて、β遮断薬とCa拮抗薬のどちらが拡張機能の改善に有効かといった議論がなされていた。心内圧較差は単に診断の対象であって、その軽減を図るなど思いもよらない領域であった。
 どの領域も同様であるが、その後の心筋症診療の進歩は目覚しい。歴史年表を見れば分かるように、この領域での日本人医学者の貢献は際立っていると言えよう。進歩は基礎研究,病態,診断,治療のあらゆる面に及んでいる。何より疾患概念そのものが大きく変わった。当初は原因不明の心筋疾患が特発性心筋症として定義されてきたものである。すでに多くの原因遺伝子が同定されてきた。いくつかの二次性心筋症は病因解明の進歩とともに原因治療が行われている。最近の研究は変異遺伝子と病態の関係の解明に至り,同時に感染症や自己免疫とのかかわりについてもより具体的なエビデンスに基づいて論じられるようになっている。
 分類が新しくなり、ガイドラインも整備された。診療にあたっては診断・治療の選択肢も増えて,予後も改善しており、一般の臨床医にとっても診療上重要な基礎的知見が増えている。とは言え、病因にかかわる介在的な治療法の開発はまだ大きな課題として残っている。今後はそれぞれの原因に応じた個別医療が進歩することを期待したい。
 本特集が50年を振り返ることで、今後の発展を見据えた議論の整理となれば編集者として幸いである。                       (磯部光章)

2018年5月号

 日本人の平均寿命の延伸は著しい。その要因として、国民皆保険制度、衛生環境の整備、急性期治療の進歩、医療機関へのアクセスの向上、低脂肪の日本食など数々あげられるが、高血圧の管理を中心とする予防医学の進歩の寄与は極めて大きい。今回の特集で改めて高血圧研究と診療の進歩を振り返ってみると、如何にその進歩が圧倒的であったかを実感する。今から73年前、アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルト( 1933年 - 1945年)はヤルタ会談の2か月後、ウォーム・スプリングスで温泉保養をとっている最中に、300/190mmHgという異常な高血圧から広範な脳出血を起こし死亡した。当時は高血圧に対する治療薬はほとんどなく、1950年代になって、レゼルピン、アプレゾリン、サイアザイド系利尿薬が開発され、降圧治療の黎明期となった。
 この70年間、疫学的な研究の進歩も目を見張るものがあった。精度の高い、長期間のコホート研究、ランダム化比較試験(RCT)、メタ解析などからの知見は高いレベルのエビデンスとしてガイドラインに反映されている。日本においても然りである。そして、従来よりも積極的な降圧治療の有用性を示した米国でのSPRINT試験が2015年に発表され、日本のガイドラインに今後どのように反映させるか大きな関心となっている。
 また、レニン・アンジオテンシン系を構成する各因子の同定や代謝経路の解明、そして、高血圧による臓器障害の病態生理やメカニズム研究も長足の進歩を遂げた。さらに、難治性高血圧に対して腎デナベーション治療の有効性を示唆する報告が発表され、現在、その検証やデナベーション手技の評価法やレスポンダーの同定方法が急務となっている。
 これからの医学は予防医学に大きなウエイトが置かれる。そして、EBMに基づく医療とともにプレシジョンメディシンあるいはパーソナライズドメディシンといわれる個々人のデータに基づく医療も発展することは間違いない。いまから、人工知能(AI)とのつきあい方を学んでおく必要がありそうだ。
                                   (倉林正彦)

2018年4月号

 心臓弁を手術の際にじっくりと観察すると、この見事な造形はどのようにしてできあがったのかと畏敬の念を抱くとともに、普段学生らに説いている私自身がそのどれだけを理解しているのか甚だ心許なく思う。大動脈弁は、交連で程よい高さに釣り上げられた絶妙な立体構造を持つ三尖が、収縮期には隠れ、拡張期には支え合い、腱索も無いのに翻転することなく負荷に耐えている。アランチウス結節は三弁が閉じたときにその間を密にすると成書にはあるが、乱流防止や、振り子の重りの役割のような血流シミュレーションなどで明らかになる秘密がまだ隠れていそうに思う。対照的に僧帽弁はダイナミックで、左室、乳頭筋、腱索、弁輪の複合体として見事な一つの器官を形成しており、閉鎖時の表情は症例ごとに微妙に異なる。
 雑誌「心臓」発刊50周年を記念する特集として、今回は弁膜疾患におけるわが国の歩みをテーマにその変遷と進歩を5つの項目に分けて第一線の先生方に執筆頂いた。通読すると、現在何気なく行っている診療行為の一つ一つが、先達の方々のたゆまざる工夫と努力の上に成り立っていることを改めて認識し、身の引き締まる思いがする。さらに国内外のイノベーションが弁膜疾患診療の進歩に深く寄与していることが年表からもわかる。
 2016、2017 の両年、ICI Meeting:Innovations in Cardiovascular Intervention (テルアビブ、イスラエル)に発表の機会を得て参加した。GDPの8%がヘルスケアに割り当てられ、医療機器の特許数が世界一の国だけあって会場は活気に満ちていた。肺水腫を体表センサで測定するベスト、被弾緊張性気胸に対するトロカールキットなど、ユニークな製品が多数発表されていた。AVR+CABG術後MRに対する心尖部アプローチでのTMVRや、カテーテル的に挿入された僧帽弁リングから鉤爪が出てきて僧帽弁輪を掴む弁輪形成術(AMEND)の臨床をライブで見学し、わが国の近未来を見た気がした。
 今後のわが国の弁膜疾患診療の方向性として、今回執筆頂いた皆様が「低侵襲化」と「ハートチーム」による総合的診療の重要性に言及されている。今後は薬物療法を礎に、低侵襲単弁治療からカテーテル的二弁置換術(TDVR:EuroIntervention 2017 ; 20:1645-1648)や、TAVI+MitraClip、TAVI+AMEND、TAVI+AMEND(+MitraClip or NeoChord)等が導入され、再生医療を用いた自己組織や生体材料の使用も重要な役割を果たすだろう。内科外科の壁は一層低くなり、弁を総合的に熟知したカテーテル循環器医がハートチームの軸となり将来の弁膜疾患診療を担うであろうことは想像に難くない。
                                 (窪田 博)

2018年3月号

 まずは、雑誌「心臓」の発刊50周年記念、おめでとうございます。
 編集者は50年前はまだ高校生で、医師になりたいという希望は持っていたものの、その専門性についてはまだ全く決まっていな状態だった。その後無事医学部に入学することができ、医学を学ぶうちに心臓の機能が障害される心不全に興味を持つようになったが、当時は今から見ると、心不全の診断法も治療法もまだまだ不十分であった。しかしながら医局の先輩から動物実験に誘われ、心機能について学ぶ機会を得てさらに心不全に対する関心が高まった。そのころはまだ心機能あるいは血行動態が全盛期で動物実験で左室圧をカテーテル先端型マノメータで測ったり、左室の壁運動を超音波クリスタルでモニターしながらドブタジンやプロプラノロールの心機能への影響を目の当たりにすることができた。心不全の治療の原則は心筋収縮力を強めたり血管を拡張したりしてポンプ機能を高めることであるとされていたので強心薬や血管拡張薬に大きな期待がもたれていた。一方で1975年にWaagsteinらが臨床例でβ遮断薬の心不全改善効果を発表した。注目はしたもののそれが将来の治療の主流になるとは勿論その時は考えていなかった。ところが、その後2000前後にβ遮断薬の大規模臨床試験が立て続けに発表され、それまで心不全に禁忌であったβ遮断薬が収縮機能の低下に基づく心不全に対して使わなくてはならない薬剤となり、いわゆる心不全治療におけるパラダイムシフトが起きた。一方で心不全の概念でもパラダイムシフトが起きた。すなわちHFpEFの概念の登場である。勿論、拡張機能障害の概念はかなり前からあったが、それは著明な左室肥大をきたす肥大型心筋症や収縮性心膜炎などの特殊な病態に伴うHFpEFという概念がHFrEFと肩を並べる存在になるとはだれもが予想しなかったと思う。それが今や、高齢化とともに増加の一途をたどり心不全パンデミックをもたらす主役であり、しかも治療の決め手に欠ける扱いにくい厄介な心不全として広く知られるようになった。
 このように、心不全の診療は50年前からは想像できない状況となっているが、さらに25年後、50年後に心不全診療はどのように変貌しているのであろうか?この50年の変化を考えるとさらに50年先には想像もつかない世界が展開していると確信する。
                                   (百村伸一)

2018年2月号

 雑誌「心臓」発刊50年を記念する特集として、今回は「不整脈」をテーマに5名の先生方に執筆をお願いした。不整脈の分野ではみな押しも押されもせぬ第一人者ばかりであるが、中でもそれぞれの先生が最も得意とする領域について、この50年間の我が国における不整脈研究の歴史を中心に解説を頂いた。
 通読していただくと、まさにこの50年間の世界における、また我が国におけるこの分野の目覚ましい進歩が浮き彫りになる。Einthovenが心電図を発明してから120年ほどになるが、初期の50~60年と比べて、1960年代以降Holter、Del MarによるHolter心電図法の開発、ScherlagによるHis束心電図の記録という二つの画期的な出来事を契機に、不整脈・心電図分野における進歩・発展のスピードが一気に加速したことが分かる。年表にもお示ししたように、欧米での新たな研究成果が、わが国でも遅れることなく広まっており、逆にわが国独自の研究が世界に向けて発信されてきたものも少なくない。また、わが国が得意とする詳細な電気生理学的検討の積み重ねと、コンピューターシステムの急速な発展を基盤とした不整脈診断技術の飛躍的な進歩により、さまざまな不整脈の治療に関しても、薬物治療からカテーテルアブレーションやICDなど非薬物治療へと大きく裾野を広げてきたといってよい。
 編集子も、執筆者の先生方とほぼ同年代で、不整脈の分野に関わって50年近くになるが、これらのエネルギッシュでダイナミックな進歩・発展の様子を目の当たりにしてきたという思いがある。この特集を読むにつけ、学会や研究会でお互いに熱い議論を戦わせながら切磋琢磨してきた、自らの歴史を顧みるようでもある。
 iPS細胞を用いた新たな創薬やAIを始めとするIT技術の急速な進歩によるこれまでにない治療ターゲットの発見など、これからの更なる50年、若い研究者の手によって、不整脈の分野で一体どのような進歩・発展が得られるのか、本当に楽しみである。
                                (加藤貴雄)

2018年1月号

 冠動脈造影を開発したSones先生は1985年の8月に亡くなったが、当時私はCleveland Clinic に短期留学していた。6月に山口洋先生と一緒に食事をしたのが、Sones先生の最後の外食だったと聞いている。ところで、私がCleveland に行っていた理由の一つはPTCA(今はPOBAといった方が良いかもしれない)を見学することだった。私は虎の門病院で数例を助手として経験したのみだったが、毎日何十例と施行されるCleveland Clinicのカテラボでは多くの新しい発見があった。その頃Cleveland Clinicでは能勢之彦先生が人工心臓の研究を進める傍ら、いくつかの新しい機器開発を進められていた。ステントもその一つで、小さな金属のチューブを見せられて、そんなの冠動脈に入れたらすぐ詰まりますよと言ったのを良く覚えている。その数年後にはステントの臨床治験が始まるなど思いもしなかった。考えてみればこの50年は冠動脈疾患の進歩という観点からは最もドラマティックな時代だったといえる。冠動脈造影の開発、CCUの開設、CABGの開発、血栓溶解療法の導入、粥腫破綻による急性冠症候群の概念の提唱、スタチンの発見、抗血小板療法の進歩、PTCAの開発、いわゆるNew DeviseといわれたDCA、Rotablatorそしてステントの開発と薬剤溶出ステントへの展開、off-pump bypassの普及などなど、数年おきに新しい展開が起こってきた。循環器の専門医はその変化に対応して、臨床と研究のスタイルを変えてきたが、新しい機器や技術が導入されるたびに、新鮮な興奮を感じられた良い時代だったといえる。開発され期待されながら、消えていった技術もある。再狭窄に対する放射線療法、虚血心筋に対するTMRなどはその代表的なものだろう。この特集では、病態、薬物療法、Intervention 外科治療に分けてそれぞれの50年が振り返られているが、その相互の位置づけについても、時代によって変化してきた事を指摘しておきたい。また、触れなかった分野に予防の領域があるが、1次、2次予防の領域でも多くの疫学研究や介入試験が行われて、時代を形作ってきたことも忘れられない。さて、これから50年後はどんな時代になっているのだろうか?
                                  (代田浩之)

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