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胸部外科医(心臓血管外科,呼吸器外科,食道外科)が集まる最大の学術集会である第64回日本胸部外科学会(上田裕一会長)が名古屋で開催された.その会期中の10月11日にプレス発表が行われた.その内容は2000~09年に会員の医療施設が実施した心臓,肺がん,食道がんの3領域の手術に伴う死亡率を分析した学術調査データである.その要点をひと言でいうと「手術件数と死亡率に相関関係はなく,一定数の手術を経験した施設間では死亡率に大差がない」とするものである.冠動脈バイパス手術の場合,30~40症例以上を経験した施設間では死亡率に大差がないという結果である.そして,学会は今年から,施設名は匿名にしたうえで,施設ごと(記号表示)の死亡率を公開することを決めた.手術成績については,国民に手術に関する情報を広く提供する観点より重要と考え,学会が主体となって正確なデータの収集と分析を行い,公開するべきであると発表した.わが国は,このような手術成績の公開には遅れをとっているが,ようやく先進国に並びかけたといえる.喜ばしいことである.
(四津良平)
本年3月から5月までに開催予定だった医学会は,多くが5~8月に変更開催され,特別な年になった.
先日,4月の予定であったある学会を,8月のお盆の時期に変更して開催した.猛暑で,しかもわが国では仏事の重なる重要なお盆の時期であったにもかかわらず,予想を上回る5千5百人以上の参加者があった.
その学術集会で最も聴講者が多かったセッションは,宇宙航空研究開発機講JAXA教授・川口淳一郎チーフディレクターによる「特別企画;はやぶさが挑んだ人類初の往復の宇宙飛行,その7年間の歩み」であった.司会をつとめたが,講演終了後30秒近く拍手が鳴り止まず,御礼の言葉もつまるぐらいに私も感激した.この理由はおそらく,日々病院で,宇宙とは若干違うが,しかし重複するところが多い"ある種のサイエンス"にかかわる研究者として,小さな子どもの身体の中に潜む宇宙に匹敵するくらいの広い神秘の世界での挑戦と,川口淳一郎チーフディレクターの成し遂げた歴史的なプロジェクトが,なにか重複すると感じたからではないであろうか.
逆戻ってこの春,御講演を依頼しに相模原のJAXA研究所の教授室を訪問した3月11日の帰り道,JR原宿駅に着いた瞬間に私は被災し,とぼとぼと国道246を上野毛まで帰宅したことが思い出される.5カ月間の心労が吹っ飛んだ瞬間であった.
惑星探査もそして地震も津波も台風も,そして原子力エネルギーも,すべては"サイエンスなんだ"と再認識したこの数カ月間であった.最近の日本のメディアはサイエンスをも三面記事にしてしまっている.カプセルを地上に届けて自分は燃え尽きた"はやぶさ"は,子どもたちに,とてつもない大きなサイエンスの夢を与えたであろう.
川口氏は講演の中で,「創造と発信そして勇気」そして「若者よ行動するならまず現場に行け」と強調されていた.われわれにとっては,"研究するなら患者を診ろ",そして"サイエンスを発信しろ"と諭されたような気がする.
(佐地 勉)
3月11日の東日本大震災から間もなく半年が経とうとしている.夏の高校野球甲子園大会では,東北勢の活躍があり大いに沸きたった.白球を追い続ける高校球児のひた向きさに感動したのは東北の人々だけではなかったであろう.被災地の復興は急ピッチで進められている.漏出放射線によって汚染された地域,処理費用1兆円とも言われるおびただしい量のがれき,海水によって使用できない農耕地,職を失った多くの人々の再就職先など,数多の課題が残されている.
このような途方に暮れてしまうような中で,被災地再建におけるスマートシティ構想について世界から熱い視線が注がれている.スマートシティ構想とは,太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーを中心に供給体制を組んで,コンピュータ制御された電力供給ハブを通じて,適宜足りない電力を電力会社などから供給を受けたり,大型蓄電池を備えて状況に応じて供給・充電を行ったりするようなIT技術をフルに駆使した自己完結型エネルギー供給システムをもつコミュニティのことを指す.さらに各家庭では電力センサが複数設置されて,電気使用が日中に集中しないように振り分けるようにする.スマートシティはエネルギー政策や環境問題の解決にもつながるというメリットを有し,中東や中国などで,すでに新興地域開発の新しいコンセプトとして幅広く進行中であるようだ.この開発には日米韓の大手電機企業が受注競争を繰り広げている.実は,この大手電機企業はCT,MRI,Echoなどの先端医療機器を製造している企業でもある.今回の大震災では医療機関は甚大な被害を受け,また,停電による病院機能の障害も少なからず見られた.各病院には自家発電機能を有していることが一般的であるが現在のままでは不十分であることは明らかである.計画停電が議論されていた時にも病院を計画停電施設から除外するために多大な議論が必要であった.地震大国日本においては,大災害時の病院機能の大幅な停滞を防ぐために,時代を先取りしてこのスマートシティ構想に学ぶのが重要ではなかろうか.
(小野 稔)
本号のOpen HEARTは,愛媛大学大学院病態情報内科学の檜垣實男先生に執筆をお願いし,また,HEART's Selectionは藤田保健衛生大学循環器内科の森本伸一郎先生にお願いし,充実した内容とすることができ,症例報告も興味ある症例が集まりました.この場を借りて諸先生方に御礼申し上げます.
さて,医学と全く関係ない話をさせていただく.諸兄は残暑厳しい折,日々診療業務に追われ,周りの自然環境を観察する時間などない方も多いと思われるが,都内にいても季節の移り変わりによってさまざまな生物が入れ替わり立ち替わり出現する.ところが最近,この生物の様相が変わってきている.例えば,ツマグロヒョウモン.オスは橙色の羽に黒い小さな点がちりばめられているきれいな蝶で,メスは上羽根の先端が黒くなっており,その中に白い斑紋もあるため,容易に見分けることができる.この蝶の幼虫はスミレ類を食草としており本来東海地方より西に分布していたものであるが,最近,都内でも頻繁に見かけるようになっている.同じように生息分布域を広げているものに,ナガサキアゲハやクマゼミがある.ナガサキアゲハはアゲハ蝶特有の後翅の突起がなく,メスは後翅に白い紋のある美しいアゲハ蝶であるが,もともとその名のとおり九州に分布していたものである.クマゼミも関西以西にいたものが最近では北海道で鳴き声が確認されたこともあるという.これらの生物の北上には常に地球の温暖化の可能性が考えられているが確定的なものではない.
一方,元来,日本に居るはずのない昆虫が見つかることもある.中国大陸にしか住んでいないホソオチョウが東大構内で繁殖していたことがあった.ホソオチョウは日本にも分布しているウマノスズクサを食草としており,人為的に日本に持ち込まれた個体からライフサイクルを繰り返したものと思われる.アカホシゴマダラチョウも中国や国内では奄美大島に分布しているが,最近,関東地方で目撃されるようになった.筆者も昨年の夏,東京都文京区内で目撃し,驚いた経験がある.秋口から,街路樹でうるさいほどに夜長鳴きとおすアオマツムシも本来は中国に生息するものが植物などと一緒に持ち込まれたらしい.
皆さんの周りでも,季節の移り変わりとともに,さまざまな生き物たちが入れ替わり立ち替わり登場してきているはずである.たまには仕事の手を休めて,周りの自然環境にも目を向けてみてはいかがでしょうか?
(百村伸一)
今回のHEART's Selectionは「睡眠時無呼吸症候群と循環器疾患」である.睡眠時無呼吸症候群の有病率は高く,わが国で数千万人といわれる高血圧症,増加する生活習慣病,心臓病,脳血管疾患,うつ病など,さまざまな全身疾患との関連が指摘されている.特に,心不全では睡眠時無呼吸を合併する例が多い.非侵襲的陽圧換気療法が目覚ましく進歩し,睡眠呼吸障害の治療に有効である.夜間の無呼吸・低呼吸と酸素化が改善するだけでなく,心機能と長期予後の改善も期待できる.2008年の米国に引き続き,昨年末にわが国でも百村先生が班長となり,「循環器領域における睡眠呼吸障害の診断・治療に関するガイドライン」が発表された.しかし,適切な治療を受けている患者さんはいまだ一部に限られているのが現状ではないかと思う.今回の特集が,睡眠呼吸障害の診断・治療の普及の一助になれば幸いである.Meet the Historyは早川弘一先生の洞結節機能の評価についてである.この分野のパイオニアとしての興味深いエピソードが満載である.
7月から東京電力,東北電力管内では電力使用制限令が発動され,今夏の節電対策に頭を悩まされている方が多いと思う.歴史的にみれば電気の普及はそう古くないことであり,世界には電気なしでも幸福に暮らしている人は大勢いるが,われわれにはもはや電気,パソコン,インターネットなしの生活は考えられない.休日の変更や勤務時間の繰り上げなどで対応するところも多いようだ.医療機関は除外されているとはいえ,停電を避けるためにエアコンの設定温度を上げる,照明,電子カルテ,パソコンを省エネモードにするなど削減努力は欠かせない.「心頭滅却......」だけでは熱中症の危険がある.高温多湿な気候の中で暮らしてきた先人達の知恵と工夫を再活用するのもいいだろう.エネルギー利用や温暖化対策を再考するよい機会である.
(竹石恭知)
本号のHeart Selectionのテーマである「植込み型人工心臓の現状」は,まさに時宜にかなった企画である.詳細は山崎先生はじめ諸先生方の記事のとおりであるが,臨床治験や制度導入にかかわったものとして一言述べたい.2010年7月の改正脳死移植法案の施行にともなって脳死ドナーの数が増加していることは,我が国の重症心不全治療の大きな進展である.ただ,それでもなお心移植の待機時間が2年以上であるという困難な状況が大きく変化する兆しはない.患者にとっても医師にとっても,この待機期間が臨床的に大きな障害となっている.今回,連続流型の人工心臓の保険適応認可は患者への大きな支えとなるに違いない.特に,在宅で管理できることからより高いQOLを保っての待機が可能となり,そのことは患者への大きな福音となろう.この間,開発に当たった日本の研究者,治験に参加された患者と臨床医,繰り返しの陳情や署名活動まで含めた運動を展開された関係者に心から敬意と謝意を表したい.極めて高額で特殊な先端医療であり,今後も普及への道のりは楽ではないかもしれないが,さらにdestination therapy(移植を前提としない使用)を目指した発展を期待したい.また,デバイス・ラグといわれる認可の遅れの解消に対して,今回の一連の経緯が今後の迅速な先端機器導入の先鞭となることを願っている.
(磯部光章)
本年3月11日に未曾有の大震災が発生した.多くの震災関連の記事や報告があるが,1つのエピソードを紹介したい.筆者の大学もチームで被災地支援を行っているが,その1人として派遣された循環器内科医の体験である
彼は,卒後12年目で,カテーテル治療を専門にがんばっている中堅である.彼が1週間あまりの派遣から戻った夜,疲れていたであろうが私のところに報告に来て,熱く語ってくれた.現地の状況は本当に悲惨であり,多くの問題点や課題があることを,写真を見せながら話してくれた.ねぎらいの言葉をかけながら聞いていたが,もう少し聞いてくれますかと言った後に,ある男性とのエピソードについて話してくれた.「任期が終わる少し前に,ある男性が,私に話がしたいといって,身の上話を始めました.今回の震災は彼にとってとてもつらく,人生のすべてを奪われたに等しい出来事でした.そういった内容を自分みたいな若造に対して,切々と話してくれました.しかし,そばで話を聞いているだけで,その人の表情は穏やかになりました.その様子が自分にもわかりました.そして,その後,彼を悩ませていた動悸や不眠など,さまざまな症状がとれました.自分はこれまで,循環器の病気は知識と技術で治せると信じて頑張ってきたつもりです.しかし,知識と技術だけでないことが,正直,初めてわかりました.その意味でも行って良かったです.」話をしながら,その男性のことを思い出したのであろう,目には涙が浮かんでいた.
この話を聞きながら,循環器科医が忘れがちな,「ときに治すことができる.和らげることはしばしばできる.だが,患者を慰めることはいつでもできる.医学はいつでもできることをしばしば放棄して,ときどきしかできない,治すことに集中している.」という,アンブロワース・パレという17世紀のフランスの外科医の言葉を思い出した.(山科 章)
医学部や医科大学に籍を置く臨床医にとって常に考えなければならないのが,「診療」,「研究」,「教育」の3本柱,あるいはこれに「社会貢献」を加えた4本柱であることは論を待たないが,それぞれどの程度の割合で力を注ぐか,その重み付けには個人差があろう.また個人のキャリア,経験年数,置かれた環境などによって,その重み付けも変化する可能性がある.いずれの柱も十分に建てられていない編集子にとって,これを論ずる資格があるのか内心忸怩たるものがあるが,あえて批判を恐れずに言えば,大学人である以上「教育」に最も心血を注ぐべきであると最近強く思う.自分たちが先人から引き継いで培ってきたものを次の世代に伝承し,さらに大きく発展させていくことができるのは,まさに「教育」のみができることであり,それが「教育」に携わる者の特権であるとともに醍醐味でもある.また「教育」は,知識や技術を「教える」だけではなく,自ら考え創り出す力を「育む」ものでなくてはならず,これから世の中を支えていく若い人たちの可能性の芽を見出し,それが正しい方向に育っていくのを静かに見守ることも重要である.
歳を重ねてくると若い人たちの感覚や感性に付いて行けず,何かにつけて「近ごろの若い者は......」と言いたくなる.まさにジェネレーションギャップであるが,だからと言ってこれを敵対視したり,逆に安易に若者に迎合したり,理解がある素振を見せたりするのではなく,正しいと信じることを熱意をもって伝えていけばよいと思う.編集子が医学生だった頃には基礎にも臨床にも名物教授と言われる先生が多く,その容赦のない厳しい指導のためにともすれば嫌われる存在であったが,今になって思い出すと様々な形でその厳しい指導が生きていることにしばしば気付かされる.「教育」というものは,すぐに成果が表れることはなくても必ず頭の隅のどこかに残されており,長い時間をかけて徐々に醸成され,いつか花開くものであると信じて,居眠りをしている学生を横目に講義を続けている.
(加藤貴雄)
東北地方太平洋沖地震が発生して10日が経った.まだ余震は収まっていない.被災地は東北から関東まで広範である.次々とテレビに映し出される東北沿岸の壊滅的な惨状には唖然とするばかりである.日本観測史上最大M9.0の地震,引き続いて起こった大津波という大自然の猛威の前には,人の力,知恵も極めて小さいことを改めて思い知らされた.犠牲者の皆さんのご冥福をお祈りする.
2万人以上の犠牲者が出たのに,ご遺体はその半分も見つかっていない.地震,火災が主体の阪神淡路大震災とは異なるところだ.急性期に活躍するDMATによる救命対象者も少なかったようだ.いったん巻き込まれたら致命的となる津波の恐ろしさだ.家々が流れ去った後に堅固な建物として病院がポツンと残っている様はなんとも悲しい.残った病院も人々を助ける建物としてではなく,助けを待つ避難所でしかない.
今回の大災害やそれによる福島原発の非常事態は,株価を一気に押し下げ,原子力発電への期待を一気に吹っ飛ばした.学会,研究会は次々と中止,延期となり,第75回日本循環器学会総会・学術集会も中止となった.復興に向けて立ち上がらねばならない.それには国民の団結と同時に,前向き思考が求められる.中止から再開への流れを期待したい.
急性期を過ぎた今は,医療活動も内科的医療,健康管理,疾病予防へと移っている.PTSDへの対応,心血管系疾患の予防,治療へ力を注ぐことになる.被災地域や寸断された交通網が広範な今回は,被災者の避難所生活も長期化が予測され,循環器疾患の管理は大きな課題である.阪神淡路大震災を現地で経験した苅尾七臣先生が提唱された「災害時の心血管リスク管理」は,これからの医療活動の指標となろう(心臓 2007;39:110-119).
復興への道筋を示し,被災者の命と健康を守ることが当面の最大の課題である.被災地で昼夜を分かたず頑張っておられる医療従事者の皆さんの映像を見ると,ただただ頭が下がるのみである.東京にいて何も為す術もない自分が腹立たしく忸怩たる思いである.しかし先はまだまだ長く,後方支援も出番は多い.少しでも役立てばと願っている.
(山口 徹)
本号では,心臓の画像診断としてCTとMRIの最近の進歩が特集されている.CTやMRIあるいはIVUS,OCTなど近年の循環器分野での画像診断の進歩は著しい.わずか数年で臨床診断のプロセスが大きく変わることもしばしばである.今回,特集されている冠動脈CTは冠動脈造影の位置付けを大きく変えたし,MRIの進歩によって心筋の線維化や虚血などの情報をより詳細に提供することが可能になった.心臓CTやMRIはシステム化された技術開発の成果として位置づけることもできるが,過去を振り返ってみると,新しい技術の開発には若い医師の一見無謀とも思えるような取り組みと小さな偶然が存在したことが知られている.
心臓カテーテルの開発では,泌尿器科医のForssmanが自らの左上腕から尿道カテーテルを右房まで挿入し,レントゲン室まで歩いて行って写真を撮ったというのは有名な話である.それ以後の彼は必ずしも順調な経歴ではなかったようだが,1956年にCournandとともにノーベル医学生理学賞を受賞している.丁度このころCleveland ClinicのSonesが選択的冠動脈造影のためのcineangioの装置とともにSones法を情熱的に開発していたことも有名である.また,そのきっかけとなったのは小児循環器医だった彼が大動脈造影をしていた時に,カテーテルがたまたま右冠動脈に入って選択的造影ができたことである.それまで選択的冠動脈造影は危険とされていたことが一気に覆されたのもこのエピソードからであった.
最近の画像診断は,当時からは考えられないような進歩をしているが,考えてみると開発過程でこのような一個人の情熱と偶然のかかわる余地は少しずつ少なくなっているのではないだろうか? それにしても最近の画像診断の進歩はめざましい.
(代田浩之)
心臓血管外科領域では施設集約化が着実に進んでいる.施設集約化という表現を用いているが,実際の内容は修練施設の認定項目において手術数に一定の基準を設け,それに満たない施設は修練施設として認定されないというものである."施設集約化=修練施設基準"と言ってもよい.もちろん修練施設として認定されなくても,その施設で心臓血管の手術を"細々と"行うことは可能である.2009年度の基準は年間25例,そして最新基準は年間40例と引き上げられた.ではどうして施設集約化になるのか? この疑問に対するお答えは次のとおりである.
これから心臓血管外科専門医を目指す若い外科医が,症例数の少ない施設で手術をしてもその手術経験数は専門医になるための手術数に算入できない.若い外科医には一定レベルの施設で修練を積むべきであるという考えがある.そのような経過で手術数の少ない施設には外科医が就職しなくなる.いずれ施設は心臓外科の看板を下ろしていくことを期待している.逆に言うと,学術学会ができる施設集約化はこのような形をとるしかないのである.
(四津良平)
循環器専門医にとって,その年の毎年9月といえばESC,秋11月といえばAHAである.
日本小児循環器学会はこの数年間,AEPC欧州小児心臓病学会とAHA米国心臓病学会のCardiovascular Disease in the Young(CVDY) Councilとの協調路線を構築中である.成人領域のように米国の学会との強い絆を目標とし,もちろんAsiaも視野に入れている.というのも,世界から見れば日本からのデータだけでは不十分で,やはりAsiaという三極の視野に立ったより大きなデータが期待されるからである.
今年のChicagoでは,International LiaisonとしてCVDY leadership meetingへの出席を要請された.時間は土曜日の13時から17時,Hyattホテルで,152ページの資料を討議する.少し退屈な時間で時差ぼけ初日の辛い時間帯である.主な目的は再来年日本で開催する関連国際学会へのAHAからのSponsorを頂くためのPresentationと,日本小児循環器学会の現状報告である.このCouncil meetingは年2回,5月と11月に開かれているようで,それ以前の8月頃から,今年の"10大進歩"を募集してきたり,今年度の表彰Drを投票したり,議題の応募をしたり,予算を計上したりと何回も連絡がある.当日はほぼ日循の理事会と同じような報告が続き,最後の30分の頃にAHAのPresidentら4人のdelegationが各Councilを回ってきて,予算の希望,研究の進捗状況などを確認する.今年も演題の60%はUSA国内から,そして40%は海外からで相変わらず日本が最多と報告していた.
実際の会場は,やはり1990年代のような"立ち見"の会場は少なく,展示ブースや各会場も水曜午後のような感じがした.小児科領域では毎年AHA Reportを帰国後発行しているので,その取材もあって会場にいる期間は長かったが,夜のDinner Symposiumも寂しかった気がする.本部からはmemberや参加者を増やそうという提案や実際の行動目標などの提示はあったが,何かTopicsに欠け,Ceremony的な気がした.
今月の心臓の特集「iPS細胞」もSessionの目玉として組まれていたが,書籍の販売数低下と同じように,実際会場に出向かなくてもすむように,医学もNet時代到来になってしまったのであろうか.講演する姿や口調,姿勢,緊張感,情熱,そして発表後の充実感は,現場でしか味わえないのに.
(佐地 勉)