第20回「家庭血圧の世界基準を生んだ「大迫(おおはさま)研究」30周年記念~家庭血圧普及のこれまでとこれから。最新知見とともに~
大迫研究がスタートしたのは、今から30年前の1986年。今井潤氏は、当時の岩手県立大迫病院院長と同級生であったことから、住民の健康意識向上に関する取り組みに関して助言を求められ、「皆さんに家庭血圧を測ってもらってはどうか」と助言した。それが世界的に有名になった、この研究の端緒となっている。今井氏は、大迫研究および関連するHOMED-BP研究を解説するとともに、30年間で得られた知見を「今後過疎医療にどのように応用していくか」について講演した。
高齢化・低人口の町でもある大迫町から考える、過疎地域における医療
岩手県花巻市大迫町は、われわれが研究を開始した当時の人口は8,053人であったが、2015年には5,574人に減少している。また高齢化率も、1985年の16.2%から、2015年では40.1%に推移しており、日本全国の高齢化率27.3%に比してもかなり高いことから、いまや人口減、高齢化の町ともいえる。こうした現状は大迫町にとどまるものではなく、岩手県全域、また全国各地でみられる。大迫研究、およびそこから派生した研究(図1)から得られたデータが、いまや世界保健機構(WHO)、米国・欧州をはじめとする世界各国の血圧の基準値となっていることは特筆に値するが、今後は過疎地域における医療のロールモデルとしても、様々な可能性が考えられる。
われわれは派生研究のひとつであるHOMED-BP研究で、高血圧治療による脳卒中の発症抑制に関する検討を行った。大迫研究は、「家庭血圧は、診療所や検診所で測る血圧に比べ、病気の本態、高血圧をより多くとらえる」、すなわち家庭血圧は診察室血圧に比べて脳卒中をはじめとした疾患をよりよく予測するため、家庭血圧を測ってそれを予防や治療に結びつければ、脳卒中などの疾病をより未然に防ぐことが可能になることを明らかにした。そしてHOMED-BP研究では、家庭血圧を指標に高血圧の薬物療法を行い、十分に血圧を下げれば、たとえ軽症高血圧であっても将来の脳卒中発症死亡を抑制しうるという結果が得られた。これらは家庭血圧の高血圧治療への導入が、脳卒中をはじめとする脳心血管疾患の予防に極めて重要な役割を果たすということを示している。
図1. 大迫研究とその派生研究
医療費の削減にもつながる家庭血圧の高血圧医療への導入
大迫地区における脳卒中の発症は、他県に比べて大きく減少しているが(図2)、これは大迫研究に伴い、地域住民が家庭血圧を測って自身の血圧を知り高血圧であることを自覚したことによると考えられる。大迫地区では脳卒中の発症減少に伴い、総死亡も減少している。大迫地区で家庭血圧測定事業が開始されて以来、同地区では近隣町村に比べ、国民健康保険一般被保険者一人当たりの治療費の増加は、最も低く抑えられている。家庭血圧を高血圧治療に導入すれば、5年間で4兆800億円の医療費が削減される。
HOMED-BP研究では、家庭血圧のデータを外来のコンピュータに落とし込み、そのデータをホストコンピュータに転送して解析、高血圧治療薬の処方指示を行うというシステムが構築され、十分に血圧が下がるまで、コンピュータにより投与量がコントロールされた。結果として、このシステムが高血圧の発見と治療に大変有効であることが明らかにされたが、こうしたシステムを過疎地域に導入すれば、大きな効果が生み出されるのではないかと考えられる。
図2. 脳卒中発症率の推移(秋田県と大迫地区との比較)
医療資源を効率的に使うために考えられること
日本経済の縮小に伴い、医療資源は縮小している。そのため、より効率的に医療資源を使用する必要が生じている(図3)。医療資源の効率化のためには、大都市への医療の集中化も考えられるが、それは大迫地区のような過疎地域における医療資源配分の減少にもつながる。つい最近まで大迫地区にはCT装置、52床を有する岩手県立大迫病院があったが、2007年に大迫地域診療所に改変され、さらに2009年には無床の大迫地域診療所に姿を変え、現在に至っている。かつて大迫病院には内科・外科をはじめ、5・6人の医師がおり地域医療を担っていたが、現在では常勤の内科医1人のみであり、数人の医師が交代でこの地域診療所に応援に入るという状態になっている。高齢者において医療へのアクセスは重要であり、大迫に代表される過疎地域では、医療サービス低下に対する不安が絶えない。毎日医療に携わっている者としては、切実な問題である。
図3. 日本経済の縮小と医療過疎の関係
遠隔医療システムによる先制医療の実現に向けて
われわれは医療アクセス困難への対処として、30年にわたる大迫研究とHOMED-BP研究で得た知見から、地域住民の健康管理、疾病予防のために遠隔医療システムの構築が有効ではないかと検討している。遠隔医療システムとは、例えば卓上電話からADSLあるいは光回線を介して家庭血圧のデータを自動的にサーバに送り、集約管理・分析されたデータに医師や看護師らの判断を加え、個人ごとの血圧に反映した診療を行うというものである(図4)。
遠隔医療の最終的な姿は、遠隔診断、遠隔治療である。このシステムでは、血圧だけではなく、体重・心拍・体温といった基本的情報が電子的に簡単に転送できる。さらに慢性疾患患者であれば、服薬状況や副作用情報なども伝えられる。疾病のスクリーニング、早期発見にも応用可能であり、また独居老人や孤立世帯の生存状況も把握できる見守りシステムにもなる。
遠隔地の医療状況は、発症発病してからでは受診もままならないが、このシステムを用いることで、未病のうちから受診も可能になるのではないかと期待している。
図4. 遠隔医療システムの例
INDEX
- 第23回 日常に潜む脳卒中の大きなリスク、『心房細動』対策のフロントライン―心不全の合併率も高い不整脈「心房細動」の最新知見―
- 第22回 高血圧パラドックスの解消に向けて―脳卒中や認知症、心不全パンデミックを防ぐために必要なこととは?―
- 第21回 健康を支える働き方改革「スローマンデー」の勧め―血圧と心拍数が教える健康的な仕事習慣―
- 第20回「家庭血圧の世界基準を生んだ「大迫(おおはさま)研究」30周年記念~家庭血圧普及のこれまでとこれから。最新知見とともに~
- 第19回「足元のひえにご注意! 気温感受性高血圧とは?」~気温と血圧、循環器病の関係~
- 第18回「2015年問題と2025年問題のために」~循環器疾患の予防による健康寿命の延伸~
- 第17回「ネット時代の健康管理」~生活習慣病の遠隔管理から被災地支援まで~
- 第16回「突然死や寝たきりを防ぐために…」~最新の動脈硬化性疾患予防ガイドラインから~
- 第15回「眠りとは?睡眠と循環器疾患」?こわいのは睡眠時無呼吸だけではない?
- 第14回日本心臓財団メディアワークショップ「コール&プッシュ!プッシュ!プッシュ!」?一般人による救命救急の今?
- 第13回日本心臓財団メディアワークショップ「心房細動治療はこう変わる!」
- 第12回日本心臓財団メディアワークショップ「新しい高血圧治療ガイドライン(JSH2009)」
- 第11回日本心臓財団メディアワークショップ「CKDと循環器疾患」
- 第10回日本心臓財団メディアワークショップ「特定健診・特定保健指導と循環器疾患」
- 第9回日本心臓財団メディアワークショップ「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」
- 第8回日本心臓財団メディアワークショップ「動脈硬化を診る」
- 第7回日本心臓財団メディアワークショップ「新しい循環器医療機器の臨床導入をめぐる問題点」
- 第6回日本心臓財団メディアワークショップ「不整脈の薬物治療に未来はあるか」
- 第5回日本心臓財団メディアワークショップ「メタボリックシンドロームのリスク」
- 第4回日本心臓財団メディアワークショップ「高血圧診療のピットホール:家庭血圧に基づいた高血圧の管理」
- 第3回「突然死救命への市民参加:AEDは革命を起こすか」
- 第2回 「心筋梗塞は予知できるか」
- 第1回 「アブラと動脈硬化をEBMから検証する」