ハート・トーク2019 「治す医療」から「治し支える医療」へ 循環器病対策はこんなに変わる 「脳卒中・循環器病対策基本法」制定とこれから
ハート・トーク2019
公益財団法人日本心臓財団とアステラス・アムジェン・バイオファーマ株式会社は2019年8月8日、「8月10日は健康ハートの日」のイベントの一環として、メディアセミナー『ハート・トーク2019』を開催しました。
公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院の磯部光章院長による「脳卒中・循環器病対策基本法について」と題し、基本法成立の背景と今後期待される循環器医療についての講演を紹介します。
「治す医療」から「治し支える医療」へ
循環器病対策はこんなに変わる
「脳卒中・循環器病対策基本法」制定とこれから
磯部光章(公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院院長)
脳卒中などの循環器病による死亡数はがんと同等
脳卒中などの循環器病が原因で亡くなる日本人は年間32.8万人。これは日本人の死因全体の33%を占め、全死亡原因の2位という多さで、死因のトップであるがん(36.8万人、全死因の37%)とそれほど変わらない数字であり(厚生労働省人口動態調査2014)、脳卒中・循環器病対策が日本の医療にとって重要な課題であることがわかります。
日本人の心血管死亡の内訳は過去から現代までの間に少しずつ変化しています。2005年まで死因のトップの位置にあった脳梗塞で亡くなる人の数は少しずつ減少している一方で、心不全で亡くなる人の数は増加しています。2014年では、最も多かったのが急性心筋梗塞などの急性心疾患でした。
循環器病の増加で医療財政も危機に
高齢者数が増えていることに加えて医療行為そのものが高度化しており、患者一人に使われる医療費自体が増加しています。医療費の中でも最も多く使われているのが「脳卒中を含む循環器病」で約6兆円、これはがんの医療費約4兆円よりも2兆円ほど高額です。
また循環器病によって健康に老いていくことが難しくなっています。日本人は世界で最も長寿な国民として知られていますが、「平均寿命」と比べて、健康的で活動的な生活が送れる期間である「健康寿命」が短くなっています。男性では80.21歳の平均寿命に対して、健康寿命は71.19歳と9.02年と10年近いギャップがあり、女性では平均寿命86.61歳に対して健康寿命は74.21歳と12.40歳のギャップがあります(いずれも2013年のデータ)。
すなわち、男性では亡くなる前の10年、女性では12年もの間、寝たきりになったり、医療機関に入院したり、介護が必要な状態で過ごしていることが分かります。
要支援・要介護状態になる原因の4分の1(24%)は、脳卒中・心臓病です(厚労省、2014年データ)。これは2位の認知症の16%よりも多く、言い換えれば、循環器病をきちんと治療し、重症化が予防できれば、高齢になっても幸せな人生をおくることができ、医療費も節約できるということになります。
脳卒中・循環器疾患対策基本法の立法化の背景
「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法(脳卒中・循環器疾患対策基本法)」は脳卒中・循環器病対策を計画的に、国策として遂行することを目的に、2018年12月21日に成立しました。
日本循環器学会や厚労省やAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)、議連の会などが協力して尽力し、成立に漕ぎつけることができました。
「脳卒中・循環器病対策基本法」の誕生によって「循環器病の予防により国民の健康寿命を延伸し、医療介護の負担を軽減するために循環器病対策を総合的に克つ計画的に推進する」ことが期待されます。
《脳卒中・循環器病対策基本法の骨子》
・疾患啓発と禁煙・受動喫煙防止
・救急搬送・受け入れ体制の整備、救急隊員の研修
・医療機関の整備
・患者の生活の質の向上
・保健・医療・福祉サービスに関する消防機関・医療機関の連携協力体制の整備
・保健・医療・福祉従事者の育成・資質の向上
・情報収集・提供体制の整備
・相談支援の推進
・研究の推進
そして、この法律のもとで心血管病医療に望む点として、以下の6点が挙げられます。
・心臓病・脳卒中予防のため大切さを国民に訴える
・急性心筋梗塞・大動脈疾患に対する治療体制が整備される
・再発・再入院を減らすとともに退院後のケアを手厚くする
・医療の成績をきちんと評価する
・高齢者にかかる医療費を減らす
・研究を進めて新薬が開発しやすい環境をつくる
これらの方針に沿って、循環器病対策推進基本計画が厚労省と各都道府県で策定され、推進することが決まっています。
疾患に対する市民啓発と救急診療施設の整備が救える命を増やす
脳卒中や急性心筋梗塞の治療では、発症から治療開始までの時間を「どのくらい短くできるか」が、患者の命を救うためには大切な問題です。東京では、救急隊に電話をしてから病院へ搬送されるまで、平均38分と、搬送時間はかなり短縮されている一方で、急性心筋梗塞の発症から家族が電話するまでに平均131分、2時間以上もかかっているという調査結果があります(Tokyo CUU Network 2010)。
この時間をより短くするためには、一般市民の方々への心臓病・脳卒中などの循環器疾患の正しい知識の普及、そして、搬送・診断・治療のシステムのより一層の整備が大切であり、救急診療施設の役割分担を明確にする必要があります。
救急診療施設では、主に初期対応を行う施設(急性心筋梗塞と大動脈解離の診断が可能)、専門的医療を行う施設(24時間体制で急性心筋梗塞に対する迅速な再灌流療法が可能)、高度な包括的な医療を行う施設(冠動脈バイパス手術ができ、24時間体制で大動脈解離に対する外科的治療、血管内治療が可能)に分け、それぞれに必要な資金やマンパワーを配分することが重要でしょう。そして、こうした体制の評価も必要です。
治す医療から患者の生活を支える医療に
少子・高齢化が進んだ日本では、循環器疾患の患者や環境は大きく変化しており、それに合わせて診療スタイルも変化しています。患者の年齢や病気の進行ステージ、合併症があるかなどを考慮して、治療目標を個人ごとにきめ細かく設定することが重要になります。
心臓の働きが弱ってくる慢性心不全は、昔は歳も若く、合併症も無く、入院の理由も「運動ができなくなったから」という患者が多い疾患でした。現在は患者の多くが高齢者であり、心臓病だけではなく、高血圧や糖尿病、腎臓病などいろいろな種類の合併症を持つ例が増えています。
治療の目標も「社会復帰」や「寿命を延ばす」だったものが「健康寿命を延ばす」や「QOL(生活の質)の改善」へと大きく様変わりしています。
こうした背景から、治療の内容のすべてを医師が決めていた時代は終わり、患者や家族の希望を聞いて、それらを尊重してした治療を行うようになりました。高齢者に特有の合併症があることに加えて、患者や家族の要望は多様化しており、昔は医師・看護師を中心に回っていた医療が、理学療法士や栄養士などを動員した多職種・チーム医療へと変貌しています。
ですから、これからの循環器病医療には、従来の"治す医療"だけではなく、"患者の生活を支える"という視点が欠かせないものになります。とりわけ高齢者では筋力などの基礎体力の低下が大きな問題になります。体力が低下した患者が循環器病を患った場合に長生きすることが難しくなるため、これまでは生活習慣病予防対策を行っていれば良かったのですが、これからは筋力を低下させない医療が大切なものになります。そのためには医療と介護が地域単位で連携して、その地域力で患者を支えることが大切になるのです。