医療者のプロフェッショナル
2015年02月16日 その他
医療者のプロフェッショナル
大阪府立成人病センター 名誉総長 堀 正二
どんな職業でも専門職となれば、一般にプロフェッショナルとよばれるが、professionalの語源は「profess - 信仰を告白する」に由来することは、あまり知られていない。
すなわち、「神に誓って」の意味が込められているわけで、まず初めに「プロフェッション(専門職)」と呼ばれたのが牧師である。次にprofessor (教授)、さらに医者、弁護士などが続くとされている。professorも元々は神学校の神父を意味していたため、「professを行う人」になったのであろうと考えられる。
したがって、プロフェッションはスペシャリスト(特殊な領域に通じた人)とは異なり、神に誓って信仰者さらには公共の福祉のために貢献・教授する専門職であることを忘れてはならない。
このような歴史的背景から、プロフェッションに、3つの使命が付与されている。
(1)公共の福祉に貢献すること、
(2)専門職に値する技術と知識を有していること、
(3)倫理性を担保する自律(autonomy) を全うすることである。
医師や医療者は文字通りプロフェッショナルでなければならないが、このことはすでに『ヒポクラテスの誓い』にも謳われている。
病人の苦痛を緩和し、疾病を治療することにより人々を癒すこと、
医学知識や医術の伝承を行うこと、
また個人の秘密保護や人権擁護など医師のモラルを護ること
が謳われており、まさにプロフェッションの3条件に相当する。
第3の使命であるautonomyは専門職ゆえの倫理性の担保と換言できる。
専門性が高くなればなる程、その事象や行為の内容が、非専門者には理解が難しくなり、透明性が低下する。そのため専門職同士の監視が必要となる。
学術論文のpeer review (同僚による査読)による評価や医療専門者による病院機能評価や臨床研究における倫理審査などがこの典型であるが、このような評価や監視は、あくまでも医療受給者へ透明性 (accountability) を担保する補助手段であり、確かに有用な仕掛けではあるが、autonomyの本質を表しているものではない。
現在、世間を騒がしている論文不正問題も、モラルに基づくself-governmentの脆弱さに由来する。
第2の使命、すなわち医学の生涯研鑽と同様に、より高いautonomyを目指して自己研鑽する生涯教育プログラムが必要なのかもしれない。
2015.2.16掲載