耳寄りな心臓の話(58話)『PMをつけた世界のリーダー』
『PMをつけた世界のリーダー 』
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
世界の先導者の中には、活動の途上で不整脈に襲われ心臓ペースメーカー(PM)を植え込みながらも活動を続ける人達がいて、米ソ冷戦下でのPMの取り寄せや電子機器へのハッキングの危険にさらされ再手術でテロ対策を講じた勇ましいリーダーも見られます。
ブレジネフ元ソ連書記長(1907-1982)
レオニード・ブレジネフは1964年、フルシチョフの失脚によりソ連共産党第一書記長に就任して、76歳で死去する1982年までの18年間にわたりソ連を統治しました。不整脈発作のため、1976年、69歳時に日本でもPMが植え込まれたばかりの頃ですが、未だ冷戦状態にあったアメリカからPMを取り寄せて手術を受け話題になりました。晩年、政治、外交、経済全てにゆきづまり、革命記念軍事パレードやクレムリン宮殿での祝賀レセプションでは終始ニコリともしなかったというのも、65歳過ぎから脳動脈硬化が進みパーキンソン病による仮面様顔貌を呈するようになっていたことが一因と考えられています。聖修道女マザー・テレサ(1910 -1997)
アグネス・ゴンジャ・ボヤジュは18歳で修道会に入り、27歳で生涯修道会で生きる終生誓願を立て、以後シスター・テレサと呼ばれるようになりました。38歳でインド・コルカタのスラム街のホームレスの子を集めて授業を行うようになり、廃寺院を譲り受けて「死を待つ人々の家」を開設し、貧者・孤児・病人の救済に献身したことで、1979年に「ノーベル平和賞」を受賞しました。1983年、高齢のテレサはヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われ、1991年にはPMをつけるようになりましたが慈善活動を続けました。1997年に87歳の生涯を終えましたが、インド政府によって国葬が営まれ、2003年パウロ2世は異例の早さでテレサを列福し、聖人に準ずる福者であると宣言しました。
シュミット元独首相(1918 -2015)
ヘルムート・シュミットは、1974年東西ドイツ統一後の第5代連邦首相に就任し、77年再指名を果たし内政外交にと独自の強い指導性を発揮しましたが、81年10月に不整脈で意識を失いかけてPMを植え込みました。在任8年目の82年、辞任して首相の座をヘルムート・コールに譲り、86年には政界を引退しました。非常な愛煙家であり、PM移植後も禁煙できず、90年代のTVのトーク番組でも終始タバコを吸い続け、顰蹙を買ったことなどが報道されました。また連邦議会内は禁煙なので、審議中だけは鼻孔にすりつける嗅ぎタバコで我慢したようです。それにしても、ソ連のクレムリン宮殿の「エカテリナの間」でタバコに火をつけた唯一の人物といわれています。「鉄の宰相」と呼ばれたシュミット氏も96歳になった2015年9月に足の血栓手術を受けた後に体調を崩し、自宅で逝去しました。
名誉教皇ベネディクトゥス16世(1927-)
ヨゼーフ・ラツィンガーは、2005年、パウロ2世の死去にともなって枢機卿団によるシスティナ礼拝堂でのコンクラーブェ選挙によって78歳で新教皇に選出され、ベネディクトゥス16 世と名乗りました。2010年にローマ教皇として史上初めてイギリスを訪問してエリザベス2世と会談し、イギリス国教会を設立したことで破門してから400年以上断絶が続いていたことに終止符を打ちました。2013年、歴史上初めてとなる生前に自らの意思で高齢を理由に退位することを表明しました。法王は以前からPMを入れていることを明らかにしており、2012年末にPM交換手術を受けたと発表しましたが、PM手術は定期的な治療の一環で「退位」の決断に影響を及ぼすものではなかったとしました。
シラク元仏大統領(1932 -)
ジャック・シラクは、1986年総選挙で首相に就任しフランス政治史上初の保革共存政権が誕生し、1995年にはフランス第五共和制第5代大統領に就任しました。2007 年、政界を引退しましたが、日本古美術を収集し、万葉集を読み、大相撲のファンなど大の親日家としても知られます。引退翌年の08 年4月には、PM植え込み手術を受けて元気を回復し、持続可能な発展と文化の多様性の保護を目指した「シラク基金」を発足させました。この基金の設立に合わせて、第1回目のアフリカ開発計画として、西アフリカの水と医薬品の供給を向上するプロジェクト、コンゴ盆地の森林破壊を抑制するプロジェクトなどを発表しました。
チェイニー元米副大統領(1941 -)
ディック・チェイニーは、ジョージ・ブッシュ政権で国防長官に就任しましたが、退任後の1995年から5年間、世界最大の石油掘削機の製造販売会社であるハリバートンのCEOを務め、湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得たとされています。チェイニーは32歳の頃から心臓に持病を抱え、副大統領就任までに5回もの心臓発作をおこし、1988年には冠動脈バイパス手術、次いでPM除細動器植え込み術を受けました。2001年にはジョージ・ブッシュ大統領の副大統領となりましたが、2007年TVドラマ「ホームランド」で放送された医療用植え込み器がハッキングされるシナリオには信憑性があるとして、自分に 植え込まれていた除細動器の機能の一部を無効にして遠隔操作をできないようにする再手術を受けています。副大統領を降りた翌2010年7月には心臓補助ポンプを植え込む手術を受け、さらに2年後には71歳という最高齢でなんと心臓移植手術を受け大きな話題になりました。
ワレサ元ポーランド大統領(1943 -)
レフ・ワレサはポーランド北部グダニスク造船所で大規模なストライキを指導し、1980年独立自主管理労働組合「連帯」の初代委員長となり、83年には「連帯」の設立やポーランドの共産主義を平和に終われせたことなどが評価されてノーベル平和賞を受賞しました。90年、非共産主義政権発足後初の大統領に就任し、95年まで務めました。「連帯」議長であった1981年に初来日し、大統領在任中の1994年には国賓として来日しています。2008年、64歳時には米ヒューストンのメソディスト病院でPM植え込み手術を受け、4日後には退院して「エネルギーがみなぎっているようだ」と冗談混じりに語りました。2014年には広島の平和記念公園を訪れて原爆慰霊碑に献花しました。
他にも、ジェラルド・フォード元米大統領(1913-2006)(図8)、リー・クアンユー元シンガポール首相(1923-2015)、デクラーク元南アフリカ大統領(1936-2013)(図10)、ベルルスコーニ伊首相(1936 -)(図11)、ティン・セイン前ミャンマー大統領(1945-)(図12)らも心臓PMをつけながらリーダーとして活躍しています。