耳寄りな心臓の話(第51話)『喉仏は心臓よりも大事か』
『喉仏は心臓よりも大事か 』
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

喉仏とアダムのリンゴ
喉の突起は甲状軟骨が隆起したもので喉仏とも呼ばれていますが、思春期に達すると男性ホルモンの分泌が盛んになり、第二次性徴の表れとして喉頭の枠組をつくる軟骨が急激に発達して声帯の長さや厚みをまして声変わりが起きます。このため、変声期の終わった男性では特に発達してみえます。軟骨部だけを取り出してみますと、座禅したお坊さん、お釈迦さんや阿弥陀さんの結跏趺坐(けっかふざ)した姿にみえないこともありません(図1)。

極楽、冥界への切符
仏教では死後は49日間にわたって7日ごとに生前の善行悪行を問われるとされ、その「審判の日」ごとに故人のための善行をと法要が営まれるのだといいます。そして最後は地獄の大神であり冥界の総司とされる閻魔大王の水晶の鏡に写し出されて、極楽行きか地獄落ちかが決められるとされています(図3)。
ところが、仏の宿る喉仏がきれいに焼き上がると善行の現れと認められて、49日を待たずに極楽浄土行きが保証されるというのですから、うまく焼け残るには程々の骨密度と火加減が重要です。このため、骨揚げでは喉仏だけは特製の分骨壷に入れられ、検定済みといわんばかりに骨壷の最上段に置かれます。もっとも、極楽世界を主宰する阿弥陀さんにすがって、「南無阿弥陀」と念仏を唱えることで地獄落ちから救われ、蓮花台の上に九品の座の一つを与えられるのだといいますから、最期に至ってもいろいろと選択の余地はありそうです。
一方、古代のエジプトの信仰では心臓だけは死後も冥界で生き続けると考えられていました。このため、ミイラ造りでは他の臓器は処理されてしまいますが、心臓だけは残されました。といいますのも、「心臓の計量の儀式」においても、もし天秤にかけられた心臓が真理を司る女神マアトの頭上を飾るダチョウの羽よりも重いと、塊が罪で重いと判定されて、直ちに妖獣アメミットに食べられて消滅してしまうと記されています(図4)。

時代が移ってもキリストの聖心はもちろんのこと、心臓がなければ冥界での約束事は実行されないと考えられてきました。西洋では近代に至っても火葬は受け入れられず、多くが土葬のままなのはこのためなのでしょう。ウィーンのホーフブルグ宮殿近くにあるカプツイーナ納骨堂には、ヨーロッパで長く権勢を誇った名門・ハプスブルグ家の代々の皇帝・皇后やその子孫らが埋葬され観光名所となっていますが、103個もの石棺とともに幾つもの心臓だけを納めた壺が見られるといいます。
喉仏の変身

日本でも古来土葬が行われてきましたが、仏教とともに伝えられた火葬が普及しました。都市部の多くは火葬ですが、土葬の地域も残っており沖縄や奄美群島の一部では今でも土葬の数年後に骨を掘り出して海水で洗い清めて葬りなおす「洗骨改葬」が行われていると聞きます。霊廟に横たえて安置すると、時が経るにしたがって全身が朽ち果て甲状軟骨も消えて骨だけになるはずですが、首の同じ高さのところに地蔵さんのような軸椎骨を見つけて、これぞ喉仏ということになったのでしょう。
頸椎の一番目は環椎(かんつい)と呼ばれ、重い頭蓋骨全体を支えていることから天をかつぐ巨人神椎が回転して頭を左右に振ることから軸椎(じくつい)、アクシスaxisと呼んでいます。自動車の追突事故やスポーツ外傷でなどでは、この環軸椎亜脱臼や骨折などの重症例が見られ、早期治療が必要となることがあります。末期の裁断のためにも、背骨の喉仏の形を整えておくのが賢明というものです。
仏舎利とパゴダ
