日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(第47話)『心臓手術の迷宮入り』

『心臓手術の迷宮入り 


川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)



  事件での迷宮入りは打つ手がなく犯人逮捕に至っていない例のことですが、ここでは心房細動という不整脈の治療のために敢えて迷宮に入り複雑な迷路を断ち切るメーズ心臓手術のことです。迷宮といえば、人体では内耳の前庭・蝸牛・三半規管と呼ばれる複雑な構造をラビュリンス(迷路)と呼んでいます。ギリシャ神話ではクレタ王ミノスが王妃の生んだ不義の牛頭人身の怪物を幽閉するために造らせたのがラビュリントス(迷宮)でしたが、現代では回廊の床模様や草木で仕切った迷路庭園などに利用されています。47図1.jpg


古代のクノッソス迷宮
 ギリシャ神話によれば、エーゲ文明の中心地だったクレタ島の王ミノスが、海神ポセイドンと交わした約束を違(たが)えたことで王妃に牛頭人身のミノタウロスが生まれてしまいました。半牛半人の怪物を閉じ込めるためにクノッソス宮殿の一角に迷路を造らせたのですが、王の紋章が両頭斧(labrys) だったことからラビュリントス(labyrinthus 迷宮)と呼ばれたようです。1905年にイギリスの考古学者アーサー・エバンスは、叙事詩人・ホメロスの物語を信じてクノッソス遺跡を発掘調査し、4千年近く経った今でも1,300室以上もの石造りの宮殿や迷宮が残っているのを確かめました(図1)。
 牛頭人身の怪物ミノタウロスは人間の子供の肉を好んで食べたために当時はクレタの属国であったアテネから毎年何人もの子供を貢がせていたのですが、ある時アテネの勇敢な王子テセウスが子供に混じって迷宮に分け入りミノタウロスを退治してしまいました。それにしても、二度と戻れないはずの迷宮を抜け出れたのは、彼に恋したミノス王の娘アリアドネが糸の端を入り口に結んだ糸玉を王子に渡していたためで、この糸を頼りに迷うことなく脱出できたのです(図2)。
47図2.jpg このため、難問解決へのヒントというか迷宮入り事件を解決するための一筋の手掛かりが見えてきたことをアリアドネの糸玉を得たといっています。医師で人気作家の海童(かいどう)尊(たける)著「バチスタの栄光」シリーズにも「アリアドネの弾丸」や「螺鈿(らでん)迷宮」といったクノッソス迷宮がらみの作品があり、TVドラマ化されて話題になりました。



昨今の迷宮と迷路
 迷宮(labyrinth)は一般的には部屋や通路が入り組んだ迷路のような建築物のことを指しますが、厳密にはクレタ型迷宮に代表されるような分岐のない秩序だった一本道からできたものであり、複雑な構造の迷路(maze)とは対照的です。すなわち、迷路の通路は交差することなく、一本道で通路は振子状に左右に方向を変えています。迷宮内には余さず通路が通され、その内部空間をすべてを通ることになり、中心から脱出するには行きと同じ道を通らなければなりません(図3-〈a〉)。
 このように古代の迷宮の構造は秩序だったものであり、これらの特徴を備えれば分岐のないごく単純な迷路が出来上がります。ところが、すでにローマ帝国時代から迷宮と迷路を混同するようになり、今日みられる迷路は古代の迷宮とはほとんど正反対の要素を持っているといえます。今ではラビリンス labyrinthもメーズmazeも、いずれも迷宮、迷路などと同義語に訳されていますが、本来の迷宮(labyrinth)は一本の通路で中央に辿りつけるようにシンプルにデザインされていたのに対し、今風の迷路(maze)には複数の分岐があって通路と方向を選ぶパズルになっているということです(図3-〈b〉、〈c〉)。
47図3と4.jpg 人体にも迷路があり、耳を外耳、中耳、内耳に分けた時に最も内側の内耳に相当し、前庭・蝸牛・三半規管から成る複雑な構造をラビュリンス(迷路)と呼んでいます。前庭には耳石器があって頭の傾斜などを感受し、蝸牛は2回転3/4巻いた管状構造をしていてコルチ器などが配置され、音によって生じた内耳液の振動を蝸牛神経に伝え、三半規管は互いに直交して角加速度を感受します。いずれも、側頭骨の内部にあって、内耳の機能が障害されると、難聴や目まい、眼振などを生じます(図4)。


現代のメーズ心臓手術
 心房細動に対する外科治療法として、1990年初頭に報告されたのがメーズ心臓手術です。左右両心房の心房筋に文字通り迷路mazeのごとき切開線を置き、心房内伝導を特定の方向に閉じ込めてしまうことを狙った術式で、考案したセントルイス・ワシントン大のコックスcox教授自身が命名したものです。
 それまでも1980年代に左房隔離術として心房を隔離して心房細動を心房内に閉じ込める手術が考案されていましたが、常に脳梗塞の発症の危険性が残りました。そこで、1990年代に心房内で考えられ得る全ての興奮旋回回路を断ち切るために、メーズmaze手術が考案されました。しかし、この方法では心房細動は治るものの、洞機能不全が発生するために術後に心臓ペースメーカーを必要とする例が多くみられることから、メーズⅡ、Ⅲの変法が生まれました(図5)。47図5.jpg 1999年に発表されたコックス教授自身による13年間306例の成績では、265例が洞調律に復帰して維持され、うち95%には抗不整脈剤が不要であり、遠隔期での脳梗塞の発症は1例のみという素晴らしい成績でした。1992年頃にはわが国の小坂井先生らによって切開縫合の代りに冷凍凝固法が導入されて手術侵襲が軽減され、2000年からはコックス教授の後継のダミアノDamiano博士らによって高周波を用いるメーズⅣ変法が導入されました。その後に、心房細動の発生する異所性興奮の90%が4本ある肺静脈開口部周囲からでていることが判明し、経皮的にカテーテルを左心房に挿入して凍結凝固あるいは高周波で焼灼するアブレーション法が普及するようになり現在に至っています。

47図6.jpgのサムネイル画像
大阪城の迷路伝説
 もともと日本の城は敵からの侵入を防ぐために迷路状に造られていると聞きます。信長の死後、天下統一の本拠として豊臣秀吉が3年がかりで完成させた大阪城の石垣は打合せ法で築かれ全長3里8町(約12km)にも及びますが、大阪冬の陣で外郭を壊され外堀は埋められ、翌年の夏の陣で炎上し落城しました。秀吉に仕えた真田幸村は冬の陣で大阪城に入って知略で徳川軍を悩ませましたが、その一つに彼が掘らせたという大阪城から三光神社へ通じる迷路を作ったという抜け穴伝説が有名です。
 かつて、大阪での不整脈学会に招かれて来日したコックス教授が小坂井先生らと大阪城を見学した折、二の丸から本丸への城跡の幾つもの回路を巡りながら、施行中の心房細動の複雑な旋回回路切断手術に重ね合わせ、帰国後にメーズmaze手術という名称を思いついたのではという秘話が残されています(図6)。
 

 
 
現代のメーズ心臓手術
 心房細動に対する外科治療法として、1990年初頭に報告されたのがメーズ心臓手術です。左右両心房の心房筋に文字通り迷路mazeのごとき切開線を置き、心房内伝導を特定の方向に閉じ込めてしまうことを狙った術式で、考案したセントルイス・ワシントン大のコックスcox教授自身が命名したものです。
 それまでも1980年代に左房隔離術として心房を隔離して心房細動を心房内に閉じ込める手術が考案されていましたが、常に脳梗塞の発症の危険性が残りました。そこで、1990年代に心房内で考えられ得る全ての興奮旋回回路を断ち切るために、メーズmaze手術が考案されました。しかし、この方法では心房細動は治るものの、洞機能不全が発生するために術後に心臓ペースメーカーを必要とする例が多くみられることから、メーズⅡ、Ⅲの変法が生まれました(図5)。
 1999年に発表されたコックス教授自身による13年間306例の成績では、265例が洞調律に復帰して維持され、うち95%には抗不整脈剤が不要であり、遠隔期での脳梗塞の発症は1例のみという素晴らしい成績でした。1992年頃にはわが国の小坂井先生らによって切開縫合の代りに冷凍凝固法が導入されて手術侵襲が軽減され、2000年からはコックス教授の後継のダミアノDamiano博士らによって高周波を用いるメーズⅣ変法が導入されました。その後に、心房細動の発生する異所性興奮の90%が4本ある肺静脈開口部周囲からでていることが判明し、経皮的にカテーテルを左心房に挿入して凍結凝固あるいは高周波で焼灼するアブレーション法が普及するようになり現在に至っています。
  


 

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