日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(第34話)『孫悟空の糸脈診断 』

『孫悟空の糸脈診断 
 

 

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
 

 昔から帝など高貴な方の肌に直接触れては恐れ多いと、薬師と呼ばれた昔の医師が診察するにも、襖越しに腕の脈どころの動脈近くに結んだ糸の揺れ具合で脈を診察する、いわゆる糸脈診断が行われていたと聞きます。離れたところからの脈の診断といいますと、ハートモニターなどの走りのようにも思えますが、細い長い糸を頼りに脈を診断することなど実際に可能だったのでしょうか。
 糸を張るということでは糸電話や魚の脈釣りにも似ており、糸脈診断にも脈がありそうに思われるのですが、古い記録をいくら調べても薬師が時の帝や将軍に糸脈診断を行ったという場面は見当たりません。どうも中国の『西遊記』に出てくる孫悟空だけがもつ神通力だったようなのです。

糸竹ヲ奏スル如ク34図1.jpgのサムネイル画像 
 尺八と琴や三味線との合奏では予め音合わせが必要で、琴柱(ことじ)を順次に移動したり糸の締め具合を変えます。やがて、竹の音と絃が共鳴して、まさに琴線に触れる一瞬となります。レトロ調に邦楽を持ち出したのは、糸竹と呼ばれる琴や尺八の演奏法が脈の診断法に通ずるという大きな接点があってのことです。「脈を診る」や「脈を取る」が診察するという意味で用いられていることからも、診察の手掛かりとして「診脈」がいかに大事にされていたかがわかります。
 古い医学書によれば、「診脈ハ三指若シクハ四指ヲ以テ行ウ」とあり、「蓋シ医人ノ診脈ハ恰(あたか)モ楽人ノ糸竹ヲ奏スル如クシ唯常ニコレヲ習ウ」となっています。糸竹すなわち琴・三味線や尺八を奏でる人の修行を見習って、医師も繰り返し脈拍を診る「診脈」の習練に励むべしと説いているのです(図1)。
 昔の診療録には脈の間合いや強さが楽器の音符のように記入され、「流レノ如ク滑ラカ」とか「岩ノ如ク不動」、あるいは「屋根カラ落チル雨垂レノ如シ」などとかなり文学的に表現されているのがわかります。確かに、指先で微かな拍動をとらえる脈診の様子は、糸竹を奏する手法によく似ていて、手技だけでなく間の取り方なども楽器を奏でる心得に共通しているようです。

ままならぬ糸脈診断
34図2.jpgのサムネイル画像 長い糸を頼りに控えの間からの糸脈診断といいますと、予言や占いと同類のものとして一蹴されがちですが糸電話の例もあります。いわずもがなですが、紙コップの底を1本の糸でつないで交信する糸電話の原理と似ているようにも思われるからです。また、浮きを用いない脈釣りでは、脈を取るように微妙な当たりで釣り上げ、『糸脈で魚の名を知る釣り上手』(柳多留122)などとも歌われています(図2)。 

 糸脈診断でも手首の脈所からの微妙な振動がピンと張られた糸を通して増幅され共鳴し、脈波として感じ取られるということが証明できれば、糸脈にも一理あることになります。しかし、医学生時代から習い始めた尺八の演奏の方は程々でしたが、長く携わってきた心臓血管病の診断治療では多くの方の脈を取ってきたものの、糸脈診断はできそうにありません。
 現代医学では聴診器、血圧計、心電計、超音波計などの小道具が加わって、脈の大小や脈管の硬さだけでなく心臓自体の具合も的確に診断できるようになり、手術後などは離れた部屋から夜間でも、無線を利用したハートモニターで心臓の動きや脈の性状を逐次監視できるようになっています。
 歴史的にも、「脈を取る」という表現が診察するという意味にとられている中で、昔は高貴な人の診察にも直接肌に触れることは御法度(ごはっと)だったようで、離れた所から脈を取ったということになります。そこで、手首の脈所に糸の一端をつなぎ、離れた部屋の侍医が他端を持って脈の具合を診たという「糸脈」の場面が語り継がれてきたのです。
 明治になって宮中の医療も漢方から西洋医学に代わりましたが、昭和天皇が内臓の病にかかり、鍼灸を打つことさえためらわれていた慣習を破って開腹術を受け、一般市民からの献血を募ったことなども皇室の歴史を変える大きな出来事でした。術後の数日間は、糸脈に代わってハートモニターが用いられたことでしょう。最近になっても、皇太子妃殿下の長引く不調に「ままならぬ糸脈診断」などと揶揄されたこともありました。
 しかし、古来からの国内の医術書にあたっても糸脈診断を実際に行った場面はどこにも見当たらないのです。

キン斗雲に乗った孫悟空
 34図4.jpg34図5.jpg 結局のところ、中国の帝に糸脈診断を行った張本人は孫悟空だったことが解りました。明代に成立した長編の神話小説『西遊記』の粗筋は、三蔵法師が仏典を求めて天竺と呼ばれていたインドを旅し、孫悟空が猪八戒や沙悟浄とともに法師を守っていろんな81もの妖魔と戦い念願を果たす物語ですが、豊かな空想力やユーモアを交えて説かれています(図3)。
 中でも、帝からの要請で診察を行う場面があり、孫悟空が自信ありげに帝の腕に結んだ糸を引いて脈を取る糸脈診断の話が圧巻です。旅の途中で帝の診察を請われた孫悟空は、寝殿近くで三本の金糸を宦官に渡して、お后かお側付きの方に糸を帝の左腕の寸、関、尺の脈所に縛り付け、端の糸を渡してくれるよう頼みます。孫悟空は三本の糸の端を親指と人差し指、次は親指と中指、さらに親指と薬指といった具合に二本の指で軽く引っ張りながら自分の呼吸と合わせつつ脈の動きを見て取ります(図4)。
 34図6.jpg糸脈を終えた孫悟空は「陛下の左手の寸脈は早く、関脈は緩やか、尺脈は非常に遅うございます。左手の症状から申しますと心臓がどきどきする、汗をかかれる、小便にも大便にも血が混じっておられる。そういうような症状はございませんか」と大声でたずねる。中で聞いていた帝は思わず、「その通り、その通り」と。そこで孫悟空は大袈裟にも八百八味の薬を三升ずつ取り寄せます。しかし実際に使ったのは大黄と峻下剤の巴豆(はず)だけで、これにかまどの墨、馬の尿それに雨水などを混ぜて帝に飲ませ見事に回復させてしまいます。肝心の妙薬は何かと聞かれた孫悟空は「馬兜鈴(ばとうれい)を用いました」と、涼しい顔で路傍の雑草であるウマノスズクサの漢名を答えるのでした(図5)。どうも、一飛びで十万八千里を行くというキン斗雲の法を会得した孫悟空にだけ可能だった得意技が、古来の名医の例え話として孫悟空のように糸脈診断ができる腕前だったと語り継がれてきたもののよう どうも、一飛びで十万八千里を行くというキン斗雲の法を会得した孫悟空にだけ可能だった得意技が、古来の名医の例え話として孫悟空のように糸脈診断ができる腕前だったと語り継がれてきたもののよう  

キン斗雲に乗った孫悟空
 結局のところ、中国の帝に糸脈診断を行った張本人は孫悟空だったことが解りました。明代に成立した長編の神話小説『西遊記』の粗筋は、三蔵法師が仏典を求めて天竺と呼ばれていたインドを旅し、孫悟空が猪八戒や沙さ悟浄とともに法師を守っていろんな81もの妖魔と戦い念願を果たす物語ですが、豊かな空想力やユーモアを交えて説かれています(図4)。
 中でも、帝からの要請で診察を行う場面があり、孫悟空が自信ありげに帝の腕に結んだ糸を引いて脈を取る糸脈診断の話が圧巻です。旅の途中で帝の診察を請われた孫悟空は、寝殿近くで三本の金糸を宦官に渡して、お后かお側付きの方に糸を帝の左腕の寸、関、尺の脈所に縛り付け、端の糸を渡してくれるよう頼みます。孫悟空は三本の糸の端を親指と人差し指、次は親指と中指、さらに親指と薬指といった具合に二本の指で軽く引っ張りながら自分の呼吸と合わせつつ脈の動きを見て取ります(図5)。
 糸脈を終えた孫悟空は「陛下の左手の寸脈は早く、関脈は緩やか、尺脈は非常に遅うございます。左手の症状から申しますと心臓がどきどきする、汗をかかれる、小便にも大便にも血が混じっておられる。そういうような症状はございませんか」と大声でたずねる。中で聞いていた帝は思わず、「その通り、その通り」と。そこで孫悟空は大袈裟にも八百八味の薬を三升ずつ取り寄せます。しかし実際に使ったのは大黄と峻下剤の巴豆(はず)だけで、これにかまどの墨、馬の尿それに雨水などを混ぜて帝に飲ませ見事に回復させてしまいます。肝心の妙薬は何かと聞かれた孫悟空は「馬兜鈴(ばとうれい)を用いました」と、涼しい顔で路傍の雑草であるウマノスズクサの漢名を答えるのでした(図6)。
 キン斗雲に乗った孫悟空
 結局のところ、中国の帝に糸脈診断を行った張本人は孫悟空だったことが解りました。明代に成立した長編の神話小説『西遊記』の粗筋は、三蔵法師が仏典を求めて天竺と呼ばれていたインドを旅し、孫悟空が猪八戒や沙さ悟浄とともに法師を守っていろんな81もの妖魔と戦い念願を果たす物語ですが、豊かな空想力やユーモアを交えて説かれています(図4)。
 中でも、帝からの要請で診察を行う場面があり、孫悟空が自信ありげに帝の腕に結んだ糸を引いて脈を取る糸脈診断の話が圧巻です。旅の途中で帝の診察を請われた孫悟空は、寝殿近くで三本の金糸を宦官に渡して、お后かお側付きの方に糸を帝の左腕の寸、関、尺の脈所に縛り付け、端の糸を渡してくれるよう頼みます。孫悟空は三本の糸の端を親指と人差し指、次は親指と中指、さらに親指と薬指といった具合に二本の指で軽く引っ張りながら自分の呼吸と合わせつつ脈の動きを見て取ります(図5)。
 糸脈を終えた孫悟空は「陛下の左手の寸脈は早く、関脈は緩やか、尺脈は非常に遅うございます。左手の症状から申しますと心臓がどきどきする、汗をかかれる、小便にも大便にも血が混じっておられる。そういうような症状はございませんか」と大声でたずねる。中で聞いていた帝は思わず、「その通り、その通り」と。そこで孫悟空は大袈裟にも八百八味の薬を三升ずつ取り寄せます。しかし実際に使ったのは大黄と峻下剤の巴豆(はず)だけで、これにかまどの墨、馬の尿それに雨水などを混ぜて帝に飲ませ見事に回復させてしまいます。肝心の妙薬は何かと聞かれた孫悟空は「馬兜鈴(ばとうれい)を用いました」と、涼しい顔で路傍の雑草であるウマノスズクサの漢名を答えるのでした(図6
 どうも、一飛びで十万八千里を行くというキン斗雲の法を会得した孫悟空にだけ可能だった得意技が、古来の名医の例え話として孫悟空のように糸脈診断ができる腕前だったと語り継がれてきたもののよう でようです。 
  





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