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耳寄りな心臓の話(第25話)『狭心症を命名したヘバーデン親子』

『狭心症を命名したヘバーデン親子 
W.ヘバーデン 1768 
北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943 -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943-  

 

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

 

  動脈硬化によって血管が狭くなるなど何も分かっていなかった18世紀中頃に、胸の痛みの中で、重いものを持ち上げたり運動の後などに胸が締め付けられるような痛みに襲われる病気を「アンギーナ・ペクトリス」すなわち「狭心症」と命名したのはイギリスのW.ヘパーデンでした。彼はまた中高齢者にしばしばみられる手指の末端の関節が腫脹する変形性関節症の「ヘパーデン結節」の命名でも有名です。当時の医学書はラテン語で書かれており、広く世に知られるようになったのは57歳で授かった息子ヘバーデン・ジュニアによる英文翻訳のお陰でした。

胸を締め付けるアンギーナヘバーデン親子図1.png


 14歳でケンブリッジ大に入学したウィリアム・ヘバーデン(William Heberden, 1710 -1801)は卒業後は内科医として10年以上を大学ですごした後に、市内で開業して多くの臨床経験を積みながら王立内科学会会員に推薦され、リタイヤした後も彼の熱心な提案で水痘や狭心症など日常遭遇することの多い病気に関する初めての解説書が内科学会から次々と発刊されました。ヘバーデンは臨床で遭遇した患者の病状をこまかく観察記録し、疾患ごとの経過の体系作りを行ったのです。
 「シェイクスピア全集」の編集などで知られる英国文壇の大御所・サミュエル・ジョンソンは臨終の床で、『医聖・ピポクラテスにも匹敵する業績があるヘバーデンこそ、当代随一の学究的臨床医である』と賛美しています。
  ヘバーデンは狭心症の命名のほかに、水痘は天然痘と違って重症化することはなく、一度罹ったら二度と罹らないことなども記載しています。また、『新薬と新しい治療法は、いつもしばらくの間は驚異的に効くものだ』と言っているのも注目されます(図1)。
 もともと扁桃炎や咽頭炎など首から胸にかけて締め付けられるような痛み、絞扼感(こうやくかん)を伴う激痛をアンギーナanginaといい、今でも急性扁桃腺炎をアンギーナと呼んでいます。
 こうした中で、心臓に原因がありそうな胸痛に絞って、アンギーナ・ペクトリス(狭心症)という名称をつけたのです。


ヘバーデン・ジュニアの活躍図2.png


 再婚して57歳になって授かった長男のヘバーデン・ジュニア(William Heberden the Youner, 1767-1845)も内科医となってロンドン王立内科学会会員に加わり、当時の医学書の常としてラテン語で書かれていた医学紀要を父の死後すぐに英文でのポケット版で出版したことで、ベッドサイドでの利用が可能となり、父の業績が広く世間に知られるようになったのです(図2)。
 ヘバーデン・ジュニアは、父に次いでイギリス王・ジョージ3世の侍医となり、精神障害に陥った王の最期を看取ったことでも知られています。因みに、ジョージ3世は1世、2世の治世で失われた王権の回復に努め、国政の指導に当たりましたが、アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、アメリカの領土を失うなどの失政を招いた王でもありました。60年もの長い間の在位でしたが、1811年には今で言う認知症と診断され、残りの20年間は長男の皇太子が摂政(リーゼント)を努めることになりました。



髪形のリーゼントスタイル

  後にジョージ4世となるまでの摂政皇太子(プリンス・リーゼント)は、親友のジョージ・ブランメルらととも伊達好みの気風であるダークカラーと無駄のない洗練された服装でダンディズムを興した一人とされました。
   ロンドンの目抜き通りであるリーゼント・ストリートは摂政皇太子を記念して整備命名されたものであり、この地区で流行したポマードで両サイドの髪を流し後頭部でピッタリ合わせた髪型を膨らんだ後に合流する大通りに似ていたことからリーゼントスタイルと呼ばれ、再び1950年代のロカビリー達の間でも流行したことがありました。今日でも、リーゼントスタイルといえば俳優の柴田恭平、水谷豊それにベイスターズの三浦大輔投手などがあげられ、リーゼントやリージェントの名称の付く家具やホテルも数多く残されています(図3、4)。
図3、4.png
 
手指のヘバーデン結節
 中~高齢者の手指末端、示指から小指にかけての第1関節が赤くはれたり、指が曲がったりし、硬い膨らみができて痛みのため強く握れないこともある変形関節症で、日常しばしばみられるものですが、古くW.ヘバーデンが記載したことからヘバーデン結節と呼ばれています。
 もともと手指の痛み・変形を来す病気にはヘバーデン結節と関節リュウマチが主なもので、リュウマチによるは関節炎では全身どこの関節にも起こり、手指では中手指関節や近位手指関節が腫れ、X線検査のほかリュウマチ因子陽性が決め手となります。
 日常の診療でよくみられるヘバーデン結節はリュウマチと間違われることがあるのですが、成因の全く異なるものです。手指の一番先の第一関節が瘤状に腫れるのですが、関節リュウマチの場合にはこの手指関節に侵されることはまずありません。X線写真では末端の第一関節の間隔が狭くなり、関節が壊れたり骨の棘が突出するなどの変形関節症の所見がみられます。治療としては、湿布や局所のテーピング、消炎鎮痛剤の投与を行うが、疼痛が軽ければそのまま放置してもよいとされています。
 このように、ヘバーデン結節では手指末端の関節だけが侵されるのが特徴で、肥大、変形がおこり衝撃が加わると痛むことがあります。しかし、長期的には痛みは自然に消退します。10代未満では男性に発症し、40 ~ 70歳では女性に多く、その後はほぼ男女等しくなりますが、女性の多くは40代・50代に発症し、80年代までにはほぼ全例にみられるとされています。(図5)
 手指のヘバーデン結節
 中~高齢者の手指末端、示指から小指にかけての第1関節が赤くはれたり、指が曲がったりし、硬い膨らみができて痛みのため強く握れないこともある変形関節症で、日常しばしばみられるものですが、古くW.ヘバーデンが記載したことからヘバーデン結節と呼ばれています。
 もともと手指の痛み・変形を来す病気にはヘバーデン結節と関節リュウマチが主なもので、リュウマチによるは関節炎では全身どこの関節にも起こり、手指では中手指関節や近位手指関節が腫れ、X線検査のほかリュウマチ因子陽性が決め手となります。
 日常の診療でよくみられるヘバーデン結節はリュウマチと間違われることがあるのですが、成因の全く異なるものです。手指の一番先の第一関節が瘤状に腫れるのですが、関節リュウマチの場合にはこの手指関節に侵されることはまずありません。X線写真では末端の第一関節の間隔が狭くなり、関節が壊れたり骨の棘が突出するなどの変形関節症の所見がみられます。治療としては、湿布や局所のテーピング、消炎鎮痛剤の投与を行うが、疼痛が軽ければそのまま放置してもよいとされています。
 このように、ヘバーデン結節では手指末端の関節だけが侵されるのが特徴で、肥大、変形がおこり衝撃が加わると痛むことがあります。しかし、長期的には痛みは自然に消退します。10代未満では男性に発症し、40 ~ 70歳では女性に多く、その後はほぼ男女等しくなりますが、女性の多くは40代・50代に発症し、80年代までにはほぼ全例にみられるとされています。(図5)
  

ヘバーデン・ジュニアの活躍
 再婚して57歳になって授かった長男のヘバーデン・ジュニア(William Heberden the Youner, 1767-1845)も内科医となってロンドン王立内科学会会員に加わり、当時の医学書の常としてラテン語で書かれていた医学紀要を父の死後すぐに英文でのポケット版で出版したことで、ベッドサイドでの利用が可能となり、父の業績が広く世間に知られるようになったのです(図2)。
 ヘバーデン・ジュニアは、父に次いでイギリス王・ジョージ3世の侍医となり、精神障害に陥った王の最期を看取ったことでも知られています。因みに、ジョージ3世は1世、2世の治世で失われた王権の回復に努め、国政の指導に当たりましたが、アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、アメリカの領土を失うなどの失政を招いた王でもありました。60年もの長い間の在位でしたが、1811年には今で言う認知症と診断され、残りの20年間は長男の皇太子が摂政(リーゼント)を努めることになりました。
ヘバーデン・ジュニアの活躍
 再婚して57歳になって授かった長男のヘバーデン・ジュニア(William Heberden the Youner, 1767-1845)も内科医となってロンドン王立内科学会会員に加わり、当時の医学書の常としてラテン語で書かれていた医学紀要を父の死後すぐに英文でのポケット版で出版したことで、ベッドサイドでの利用が可能となり、父の業績が広く世間に知られるようになったのです(図2)。
 ヘバーデン・ジュニアは、父に次いでイギリス王・ジョージ3世の侍医となり、精神障害に陥った王の最期を看取ったことでも知られています。因みに、ジョージ3世は1世、2世の治世で失われた王権の回復に努め、国政の指導に当たりましたが、アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、アメリカの領土を失うなどの失政を招いた王でもありました。60年もの長い間の在位でしたが、1811年には今で言う認知症と診断され、残りの20年間は長男の皇太子が摂政(リーゼント)を努めることになりました。
 ヘバーデン・ジュニアの活躍
 再婚して57歳になって授かった長男のヘバーデン・ジュニア(William Heberden the Youner, 1767-1845)も内科医となってロンドン王立内科学会会員に加わり、当時の医学書の常としてラテン語で書かれていた医学紀要を父の死後すぐに英文でのポケット版で出版したことで、ベッドサイドでの利用が可能となり、父の業績が広く世間に知られるようになったのです(図2)。
 ヘバーデン・ジュニアは、父に次いでイギリス王・ジョージ3世の侍医となり、精神障害に陥った王の最期を看取ったことでも知られています。因みに、ジョージ3世は1世、2世の治世で失われた王権の回復に努め、国政の指導に当たりましたが、アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、アメリカの領土を失うなどの失政を招いた王でもありました。60年もの長い間の在位でしたが、1811年には今で言う認知症と診断され、残りの20年間は長男の皇太子が摂政(リーゼント)を努めることになりました。
 ヘバーデン・ジュニアの活躍
 再婚して57歳になって授かった長男のヘバーデン・ジュニア(William Heberden the Youner, 1767-1845)も内科医となってロンドン王立内科学会会員に加わり、当時の医学書の常としてラテン語で書かれていた医学紀要を父の死後すぐに英文でのポケット版で出版したことで、ベッドサイドでの利用が可能となり、父の業績が広く世間に知られるようになったのです(図2)。
 ヘバーデン・ジュニアは、父に次いでイギリス王・ジョージ3世の侍医となり、精神障害に陥った王の最期を看取ったことでも知られています。因みに、ジョージ3世は1世、2世の治世で失われた王権の回復に努め、国政の指導に当たりましたが、アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、アメリカの領土を失うなどの失政を招いた王でもありました。60年もの長い間の在位でしたが、1811年には今で言う認知症と診断され、残りの20年間は長男の皇太子が摂政(リーゼント)を努めることになりました。手指のヘバーデン結節
 中~高齢者の手指末端、示指から小指にかけての第1関節が赤くはれたり、指が曲がったりし、硬い膨らみができて痛みのため強く握れないこともある変形関節症で、日常しばしばみられるものですが、古くW.ヘバーデンが記載したことからヘバーデン結節と呼ばれています。
 もともと手指の痛み・変形を来す病気にはヘバーデン結節と関節リュウマチが主なもので、リュウマチによるは関節炎では全身どこの関節にも起こり、手指では中手指関節や近位手指関節が腫れ、X線検査のほかリュウマチ因子陽性が決め手となります。
 日常の診療でよくみられるヘバーデン結節はリュウマチと間違われることがあるのですが、成因の全く異なるものです。手指の一番先の第一関節が瘤状に腫れるのですが、関節リュウマチの場合にはこの手指関節に侵されることはまずありません。X線写真では末端の第一関節の間隔が狭くなり、関節が壊れたり骨の棘が突出するなどの変形関節症の所見がみられます。治療としては、湿布や局所のテーピング、消炎鎮痛剤の投与を行うが、疼痛が軽ければそのまま放置してもよいとされています。
 このように、ヘバーデン結節では手指末端の関節だけが侵されるのが特徴で、肥大、変形がおこり衝撃が加わると痛むことがあります。しかし、長期的には痛みは自然に消退します。10代未満では男性に発症し、40 ~ 70歳では女性に多く、その後はほぼ男女等しくなりますが、女性の多くは40代・50代に発症し、80年代までにはほぼ全例にみられるとされています。(図5)

 

手指のヘバーデン結節25回図5.jpg


 中~高齢者の手指末端、示指から小指にかけての第1関節が赤くはれたり、指が曲がったりし、硬い膨らみができて痛みのため強く握れないこともある変形関節症で、日常しばしばみられるものですが、古くW.ヘバーデンが記載したことからヘバーデン結節と呼ばれています。
 もともと手指(しゅし)の痛み・変形を来す病気にはヘバーデン結節と関節リュウマチが主なもので、リュウマチによるは関節炎では全身どこの関節にも起こり、手指では中手指関節や近位手指関節が腫れ、X線検査のほかリュウマチ因子陽性が決め手となります。
 日常の診療でよくみられるヘバーデン結節はリュウマチと間違われることがあるのですが、成因の全く異なるものです。手指の一番先の第一関節が瘤状に腫れるのですが、関節リュウマチの場合にはこの手指関節に侵されることはまずありません。X線写真では末端の第一関節の間隔が狭くなり、関節が壊れたり骨の棘が突出するなどの変形関節症の所見がみられます。治療としては、湿布や局所のテーピング、消炎鎮痛剤の投与を行うが、疼痛(とうつう)が軽ければそのまま放置してもよいとされています。
 このように、ヘバーデン結節では手指末端の関節だけが侵されるのが特徴で、肥大、変形がおこり衝撃が加わると痛むことがあります。しかし、長期的には痛みは自然に消退します。10代未満では男性に発症し、40 ~ 70歳では女性に多く、その後はほぼ男女等しくなりますが、女性の多くは40代・50代に発症し、80年代までにはほぼ全例にみられるとされています。(図5


日本での狭心症の命名は


 心臓が原因の胸痛をアンギーナ・ペクトリスAngina pectorisと命名したのはイギリスのヘバーデン親子(1768-1801)で、我が国初の西洋解剖訳術書である「解体新書」(1774(安永3))が刊行された時期にあたりますが、これが日本に伝わって狭心症と訳されたのはいつ頃のことなのでしょうか。
 落合泰蔵著『漢洋病名対照録』(1884(明治17))にはagina pectoris(angina-は激痛、pectorisは胸部)の訳語として、心胸神経痛とあり、同意語として胸内逼圧、胸搾、心臓神経痛、胸内逼迫、狭心症などがあげられており幕末から明治にかけて次々と良い訳を作ろうと苦心した跡が分かります。しかし、後半の胸搾、胸内逼圧、狭心症などは、angina pectorisを訳したというよりも、もう一つの類義語でイタリアのブレラが1810年に提唱したstenocordis(steno-は狭い、cordisは心臓)を直訳したものと考えられます。ヘバーデンの思いとは少し違って、痛みよりも胸が締め付けられるという意味の「狭心症」が今日の慣用語として残されたことになります。
 
 
 
 
 

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