耳寄りな心臓の話(第23話)『 冠動脈壁を支えるステント』
『冠動脈壁を支えるステント 』
C.ステント 1807-1885
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
カテーテルの先端につけた風船で狭くなった冠動脈を拡げ、その壁を金属製の網目のステントで支持する方法が導入され、狭心痛に悩まされた人達にとっては大きな福音となっています。救世主となったステントという補填器材は、実は戦争の塹壕(ざんごう)戦で多発する顔面外傷の形成術用にとロンドンの歯科医・ステントが考案した歯科鋳型(いがた)が開発のヒントとなったものでした。
風船とステント治療
動脈硬化で狭くなった手足の動脈にバルーン付カテーテルを通して、狭窄部で膨らませて拡張する「経皮的動脈形成術=PTA」が、冠動脈にも応用されるようになって四半世紀がたちました。「経皮的冠動脈形成術=PTCA」、「冠動脈インターベンション=PCI」などと呼ばれる手技ですが、萎めた状態でバルーン付カテーテルを血管に挿入し、狭い部位で膨らませるので風船治療とも言われています。
このバルーン法はスイスの青年医師グリュンツイッヒが1977年に考案したものでしたが、拡張させた後に再び狭窄の起こることがあることから、トンネル工事の梁のように金属製の網目の筒を同部に留置する方法がとられて今日に至っています。このステントはステンレスやチタン合金を網目様に組んだ直径2-3mm、長さ2-3cmほどのものです。ごく最近では、材料の表面に細胞増殖を抑える薬剤を浸透させ再狭窄を防ぐという薬剤溶出性ステント(Drug Eluting Stent,DSA)も開発され、主流になりつつあります(図1)。
歯科医・ステントの発案
第一次大戦では塹壕戦が中心だったために、戦傷というと顔面外傷が多くを占めていました。塹壕、トレンチの中で首筋を雨風から守るようにと考案されたのがトレンチコートで、ダブルで衿(えり)の折り返しにボタンホールを開けて前を合わせられるようにして肩に雨よけぶたをつけ、ウエストをベルトで締めるというものです。当時、ロンドンの既製服会社だったバーバリー社やアクアスキュータム社が防水加工した綿ギャバジンを布地にして作ったのが始まりとされています。
さて、顔を出さざるをえない塹壕戦では迫撃砲による顔面外傷が多く、美容的にも傷の治るまで変形を来さないような支持物が必要となり、その型をグッタペルカというマレー産のゴム状物質で作っていたのです。ロンドンで開業していた歯科医のチャールズ・ステント Charles Stent はこのグッタペルカにある種の基材を混ぜることで固さを調節したり着色するなどの工夫を加えて注目され、息子の兄弟歯科医がこの歯科材料を「ステント」の登録商標で売り出して世界に広まりました(図2)。
支柱材である歯科のステントにヒントをえて、泌尿器科では早くから前立腺肥大症に対する手術後の狭窄予防に螺旋形の吸収性の管を留置したり、血管外科でも縫合部を一時的に保持するための材質が研究されました(図3)。そこに、冠動脈狭窄症に対するバイパス手術をへてカテーテルを用いた風船治療が盛んに行われるようになり、その補充療法としてステント留置が考案され、国内だけでも毎年十万人もの狭心症患者が恩恵を蒙っている計算になります。
形状記憶合金の知能
冠動脈用ステントの形状はチューブ型、コイル型それにメッシュ型に分けられ、骨格となる素材にはステンレス鋼のほか、タンタルあるいはニッケルチタン合金が用いられています。多くはバルーンで拡大して留置する仕組みになっていますが、形状記憶のニッケルチタン合金製のステントでは萎(しぼ)めた状態で留置したものが体温によって拡張するものもあります。
材料の原子の並び方が温度変化で壊れれるものでは変化したままの形ですが、材料の原子に変化が起きていないものでは室温から体温に上がることで元の並び方に戻るのです。
このように、材料があたかも昔の形を覚えていたかのように変化することから、ニッケル・チタン合金や銅・亜鉛・アルミニウム合金などは「形状記憶合金」とか「知能材料」と呼ばれています。これらの新しい機能性材料は、冠動脈や大動脈用ステントのほかパイプの継ぎ手、温度感知器や温度調節器、ブラジャーの形状保持など、熱エネルギーを機械的エネルギーに変える特性を生かした応用が盛んに行われています(図4)。
巨神チターンとタンタロス
タイタン、チタニウムとも呼ばれるチタン Titan は、ギリシャ神話の大力の巨神チターン族の一人でしたが、ゼウス神は暴れ者の彼らを地下深くの地獄に幽閉し、天上の支配者となったとされています。元素のチタンは18世紀末になって地下のかなり深いところにあった鉱石から発見され、地下深くに幽閉された巨神に因んでチタンと命名されました。処女航海で氷山に衝突して沈没した巨大豪華客船の「タイタニック号」やアメリカの大陸間弾道ミサイルの「タイタン」もこの巨神チターン族に因む命名でしょう(図5)。
恐竜ブームでチタノサウルスという白亜紀の巨大な生物も注目されています。
一方、タンタル Tantal も白金に似た金属で耐熱、耐食性にすぐれ、歯科の医療器具材料として早くから用いられていました。こちらもギリシャ神話からの命名で、ゼウスの子タンタロスは神々の飲食物を盗んだことで地獄に投げ込まれ、首まで水に浸りながら飲むこともできず、頭上の果実も口にできないという「じらされっぱなし」の罰を受けます。スウェーデンの科学者エーケベリは1802年、新しい鉱物の分析を重ねて新元素を発見したのですが、その分析は困難をきわめる複雑なもので、結論は見えていながら何度も何度もやり直すという大変じらされた経緯があったことからの命名のようです。したがって、英語のtantalizeも(望みをかなえるかのようにみせかけて)じらす、からかうという意味で用いられています。
ニッケル・チタン・タンタルなどの金属は天然の存在量が少なく、希少金属、レア・メタルと呼ばれ、医療機器だけでなくITの技術開発の素材として世界で注目され、各国はこれらの希少金属の確保に力を入れているところです。
図2:The word "stent" derives from the name of an English dentist,Charles Stent,who invented a dental impression compound in 1856.
cf.Ring ME.How a Dentist's Name Became a Synonym for a Life-saying Devices:The Story of Dr.Charles Stent. J History Dentistry 49(2),2001.
出典
図2: Journal of Historiy of Dentistry vol.49,No.2/July 2001 Fog1,3
図3: Journal of Historiy of Dentistry vol.49,No.2/July 2001 Fog2