耳寄りな心臓の話(第22話)『 総理を襲った心筋梗塞』
『総理を襲った心筋梗塞 』
大平正芳 1910-1980/橋本龍太郎 1937-2006
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
日本の要人はどんな病気で亡くなることが多いのでしょうか。一般的には昭和50年代からは悪性新生物、心疾患、脳血管疾患が三大死因となっており、心疾患の中では心筋梗塞などの虚血性心疾患による死亡が急速な人口高齢化、食生活の欧米化とともに増加しています。心疾患による死亡は昭和30年代までは10万人あたり50人だったものが、昭和50年には90人となり、平成19年には144人となっています。このように、毎年心筋梗塞で8万人余が死亡し、心疾患全体でみると18万人余が死亡していることになります(図1)。
とくに心筋梗塞の発症は急激で死に至ることも多いことから、政治家などの要人であればあるほど周囲を混乱させます。そこで、現職の総理や元総理を襲った心臓病を分析し、激務と思われる政務の周辺を垣間見ることとします。
現職首相を襲った心臓病
大平正芳氏は外相、通産相、蔵相などを歴任し、その間に自民党の政調会長、幹事長を務め、1978(昭和53)年に自民党総裁となりました。その風貌から「牛」に例えられた大平首相は日本型福祉社会建設などを打ち出し、総理として2年目の1980年6月に内閣不信任案可決などの政治的激動に対する心労のうちに史上初の衆参両院ダブル選挙を行うこととなりましたが、その最中に不帰の人となってしまいました。弔い合戦の様相を呈した選挙は自民党の圧勝に終わり、「死せる大平、党を蘇らす」といわれました。
もともと糖尿病を患っていましたが、秒刻みの超多忙な政務で食事療法が疎かとなり冠動脈硬化が悪化して急性心筋梗塞を発症したようです。しかし、入院時は狭心症と発表されましたが、その実は心筋梗塞だったようで合併した不整脈から心原性ショックに陥り70年の生涯を閉じられました(図2)。
歴史上では現職総理の死亡としては五人目でしたが、戦後では初の首相在任中の死去であり、日本武道館で行われた内閣・自民党合同葬にはカーター米大統領、華国鋒中国首相をはじめ108か国の代表が参列しました。葬儀委員長を務めた官房長官・伊東正義氏の揮毫(きごう)した墓碑には、『君は永遠の今に生き 現職総理として死す 理想を求めて倦(う)まず 斃(たお)れて後巳(やま)まざりき』と志し半ばで散った闘士の惜念の辞が記されています。
NHKの特別番組“Q&A心臓病”
大平首相の急な入院騒ぎでは狭心症と発表されたことで国民は軽く受け止めていたのですが、一週間後に突然の訃報となってしまいました。領袖(りょうしゅう)を失った政局の混迷は大きく、NHKでは「狭心症で死ぬことがあるのか」との質問が殺到したため、急遽、選挙の終わりを待ってテレビの「おはよう広場」で特別番組として“Q&A 心臓病”を取り上げることになりました(図4)。
昭和大・内科の新谷(にいたに)教授、筑波大・公衆衛生学の小町教授とともに当時は東海大外科・助教授だった著者にも出演の声がかかり、首相の実情には触れないという約束で狭心症と心筋梗塞の違いを説明したものでした。同じ冠動脈の動脈硬化が原因ですが、狭心症では一時的に血流が不足して発作を来したものであり、治療によって回復するものですが、心筋梗塞では血栓などによって血流が途絶して心筋が駄目になってしまい、支配域が広いと命取りになることもあります(図5)。
未だカテーテルを用いた経皮的冠動脈形成術が導入されていない時代でもあり、唯一の外科治療法だった冠動脈バイパス術を筆者から受けた患者さんの奥様にも登場願って、家族の心得なども話題にしました。とにかく、狭心症と心筋梗塞の違いを図示しながら、それぞれの薬物療法や手術治療について実例を提示したことで世間の疑問を幾らかでも解くことができたものと思っています。
一命を取り留めた紫煙の総理
橋本龍太郎首相は'95年に自民党総裁となり連立内閣を経て自民党単独内閣を復活させました。翌年の5月31日の世界禁煙デーに菅厚相が「今年のスローガンは“スポーツや芸術を通じてタバコのない世界を作ろう”です」と各閣僚に禁煙協力を求め、ついで、梶山官房長官が禁煙週間中の閣議には灰皿を置かないと宣言したところ、一部の官僚から反対の強力なパンチを食ったことがあります。
さらには、二三の閣僚がスパスパ吸い始めたのをみて橋本首相は「厚相の発言の後にタバコを吸い始めたのはよくない」と諭したものでしたが、首相自身は最初から最後まで紫煙をくゆらせていたとの記事もあり、かなりのヘビースモーカーだったことが伺えます。もっとも、橋本首相はタバコ問題首都圏協議会なる団体が発表した'98ワースト・スモーカー・コンテストで3年連続でワースト1に選ばれていたのです。
橋本首相は剣道、登山、写真などと多趣味で、公務の合間を縫って剣道の稽古で汗を流し、ヒマラヤ遠征を何度も経験した兵でした。橋本内閣では行政改革を最大の政治課題としましたが、'98年の参議院選で大敗して内閣総辞職となり、小渕内閣に引き継がれました。その4年後の冬、橋本元首相は胸痛を訴えて緊急入院となり急性心筋梗塞と診断されました。CCUでの急性期治療が行われ危機は脱したものの、合併した僧帽弁腱索断裂による僧帽弁閉鎖不全が明かとなり僧帽弁置換手術が実施されました。大手術から見事に回復されて政務に復帰しましたが、日本歯科医師会からの献金疑惑問題が取り沙汰されている最中の'06年7月、心不全悪化による腸間膜血栓症を併発して亡くなりました。68歳の若さでした。日本武道館で行われた内閣と自民党との合同葬には、皇太子殿下はじめ143か国からの外国弔問特使や在京大使など約4000人が参列しました。
狭心症や心筋梗塞などの危険因子としては、高血圧、糖尿病、肥満、喫煙が挙げられます。中でも、タバコが一番の槍玉に挙げられることが多いのですが、ヘビースモーカーであればあるほど禁煙はなんとも難しい命題のようです。