日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(第12話)『ブルーベビーを救った二人』

『ブルーベビーを救った二人』
-A.ブレロック/H.トーシック、1944年-

川田志明(慶応義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

聴診器と胸部?線しかなく、心臓カテーテル法や心臓手術も全く行われていない1930年代に、こつこつと先天性心疾患に取り組んでいた一人の進歩的な女医と彼女の進言で動物実験を繰り返した後にブルーベビーに対する初めての心臓手術に成功した気鋭の外科医の話です。

 

かがんだ蹲踞の姿勢12-01.jpg
 ボストンのハーバード大学医学部への入学を拒否されたヘレン・トーシックは、富豪エリザベス・ギャレットが女子学生の入学を男子と同等に認めることを寄付の条件として医学部を新設したばかりのジョーンズ・ホプキンス大に入学しました。優秀な成績で卒業したH.トーシックは小児科医となり、ファロー四徴症などの先天性心疾患の病態と治療法を研究して、女性初の正教授となりました。


 唇や指先にチアノーゼをきたすブルーベビーの治療に頭を悩ませていましたが、患児を泣かせ続けると低酸素発作が起きて肘と膝を胸に押しつける体位にしないと発作が治まらず、遊びに夢中になっている幼児ではしゃがみ込んで両手で膝を抱える姿勢をとることが分かりました。相撲や剣道の仕切りと似て、爪先で立ち深く腰を下ろしてしゃがむ蹲そんきょ踞の姿勢をとるのです(図1)。


 チアノーゼをしめす心臓病の3/ 4を占めるファロー四徴症は、1888年にフランスの外科医A.ファローが?肺動脈狭窄、?心室中隔欠損があり?大動脈の右方偏位、?右室肥大の4つの異常12-02.jpgの組み合わせを、当時心酔していたワーグナーの4部作(テトラロジー tetralogy)からなる長大な楽劇「ニーベルングの指環」に因んで「ファロー四徴症(テトラロジー・オブ・ファロー Tetralogy of Fallot)」と記載したものでした(図2)。


 子宮胎内の胎児の血液循環の様子を見ると、動脈管が肺を循環する肺動脈と体全体を巡る大動脈の間にあって胎盤からの血流を調節していますが、新生児が産声を上げた途端に自力での呼吸がはじまることで動脈管は不要になり、閉塞して動脈管索という紐のような組織に変わります。しかし、生後しばらくたっても閉じない時は動脈管開存症と呼ばれ、大動脈から低圧の肺動脈に大量の血液が流れ込んで心不全を起こしかねません。

 

ボストンでの二度目の拒絶12-03.jpg
 この動脈管開存症も頻度の多い病気ですが、やっと生前の診断がつくようになり、1943年になってボストン小児病院のロバート・グロスによって世界初の動脈管結紮手術が行われました(図3)。


 ところが、チアノーゼを来す多くの先天性心疾患ではむしろ動脈管の開存が重要で、生後もしばらく開存して肺血流の増加につながっているのですが、閉塞し始めると肺血流が少なくなって急にチアノーゼが強くなり全身状態も悪化します。この変化に注目したH.トーシックは、この閉じかかった動脈管に代わる血流として大動脈の枝を肺動脈につなぐことで肺血流が増えチアノーゼが軽減するのではと考えたのです。


 そこで、動脈管手術で名声を博していたR.グロスをボストンに訪ね、彼女の理論を説明して新しい手術を要請しましたが、グロスは「自分は動脈管を閉じるのが仕事で、せっかく閉じた所へ別の動脈管を作ることはやりたくない」と断られてしまいました。

 

 ハーバード大経済学部教授の長女としてボストンで生まれたトーシックは、女性であるがゆえにハーバード大医学部への入学を断られ、やむなくメリーランド州ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス医学校に進んだ経緯があります。後年、彼女は「ボストンで拒絶にあったのは二度目だったが、それでよかった」と、二度の苦い思い出を語っています。

 

B-Tシャント、短絡法の誕生
 丁度その頃ジョンズ・ホプキンス病院の外科部長に就任した1歳年下のアルフレッド・ブレロックが動脈管開存症の手術も手掛けていることを知り、早速自分のアイデアについて相談しました。彼女の熱意に負けたA.ブレロックは多数の動物実験を繰り返した後に、1944(昭和19)年11月25日、ファロー四徴症の1歳3か月女児の短絡手術に成功しました。吻合部の遮断解除とともに、赤黒かった患児の口唇はピンク色となり、術後には歩行も可能となったのです。

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 この時、ブレロックは45歳、第1助手は後にカリフォルニア大で最初の内胸動脈冠動脈吻合を実施したロングマイヤー教授、また現在はテキサス心臓研究所の大御所であるクーリィ教授も加わっていました。


 ファロー四徴症に対しては現在でも、根治手術までの前段階処置としてBTシャント、短絡手術が行われていますが、最近では患児の鎖骨下動脈の代わりに細めの人工血管を用いた短絡手術が多くなっています(図4)。

 ブレロックとトーシックは英国に渡って手術を供覧したことで世界的なニュースとなり、見学の医師が殺到し、全米から患児が集まるようにりました。最初の1年間に55例の短絡手術が実施され、ファロー四徴症に対する直視下根治手術が開始されはじめた1950年末までに1, 037例にも達しました。

 

動物愛護団体の反対運動
 数多い実験の後の手術の詳細が報道されたこともあって、1949年にはジョンズ・ホプキンス大学のあるボルチモアで動物実験反対の運動が起こり、医学会の要請で市議会が聴聞会を開きH.トーシックらが意見を求められました。しかし、その会場には短絡手術でピンク色に元気になったブルーベビーたちがペット犬を連れてそろって参加して話題になり、動物実験反対グループは次の選挙で敗退したこともあって、この事件も幕を閉じました。

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 その半世紀後の1993年になってこのボルチモア市で世界初の生命医学研究における実験動物代替学会が開催され、加盟国は2000年までに動物実験における脊椎動物の使用数を50%に削減するよう努力することに合意しました。


 1962年、ドイツで6年前に開発された催眠剤のサリドマイドを妊娠初期に服用した妊婦から、四肢の長骨の欠損などいわゆるアザラシ肢症のほか心奇形児が生まれることを知ったトーシックは先天性奇形の専門家として直ちにドイツに飛んで6週間にわたって調査し、その実態と危険性をアメリカの
議会や医学会で報告しました。65歳まで現役の小児科医として親しまれたトーシックは翌1963年に引退した後も、トリでの心奇形発生の研究を続けていましたが、1986年自動車事故のために88歳の生涯を閉じました(図6)。

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