成り立ち
日本心臓財団設立の動きは、1964年に始まります。
同年5月、京都で開催された第3回アジア太平洋心臓学会に参加したアメリカのP.D.ホワイト博士をはじめとする世界各国の研究者は、欧米では心臓病が死因の第一位であるのに対し、日本では脳卒中が第一位を占めており、そのなかでも脳出血が多いことに関心を示されました。心臓病による死因は第三位でしたが、ゆくゆくは増加がみられることを危惧し、他の先進国同様、心臓血管病の研究、予防啓発活動の必要性を進言し、心臓財団の設立を呼びかけられました。
一方経済界においても、脳卒中および心臓病が、働き盛りの人を突然襲い、その生命を奪い、社会的活動を不可能にすることから大きな社会問題となりつつありました。
1964年5月18日、P.D.ホワイト博士ならびに国際心臓財団後援会長A.M.ベアー氏の出席のもとに、わが国の経済界有志と医学界からの代表が集い、わが国においても脳卒中、心筋梗塞、狭心症等の心臓血管病を制圧するための民間団体を設立することで意見の一致をみました。
しかしながら、巨額の資金を必要とする財団の設立に対し経済界側の足並みが思うようにそろわず、その調整と準備には5年の歳月を要しました。1969年3月、委員長に草野義一氏(日本軽金属株式会社相談役)が就任し、設立準備委員会が結成されたのです。
同年9月の設立準備委員会において、
1.心臓血管病に関する研究開発の助成
2.心臓血管病に関する予防知識の国民的普及啓蒙活動
3.心臓血管病制圧に関する国際交流・国際協力の実施
という財団の事業大綱を決定し、これらの事業をとおして医学の向上と国民福祉の発展に寄与することが確認されました。
同年12月、厚生省(当時)に対して「財団法人日本心臓財団」の設立申請を提出しました。翌1970年4月9日設立が許可され、5月15日設立の運びとなりました。初代会長に佐藤喜一郎氏(株式会社三井銀行相談役)、副会長に美甘義夫氏(関東中央病院院長)が就任し、経済界と医学界が協力して当財団を支えることが約束され、加えて副会長に湯浅恭三氏(湯浅法律特許事務所所長)、理事長に草野義一氏のもと財政面の充実と事業を推進するうえで、役員は経済界と医学界半々で構成され、この体制は現在も慣例として続いています。
基本財産としては100万ドルの基金(当時1ドル360円)が必要であろうとのことから3億6,000万円を目標に募金を行い、10年をかけてこれを達成しました。設立15年後さらに基本財産を増額し、現在は9億8,000万円となっています。 設立当初は基本財産作りが中心で、国内事業としては一般向け講演会を実施するにとどまり、3年を経過して研究助成を開始することになりました。
国際的には財団が加盟する国際心臓連盟(ICF)と学会が加盟する国際心臓学会(ISC: International Society of Cardiology)があり、この両団体が1978年に統合し、国際心臓連合(ISFC: International Society and Federation of Cardiology)となり、現在は世界心臓連合(WHF : World Heart Federation)に変わり、国際的活動が行われています。
文中説明文
1964年
東京オリンピックが開催され、これにあわせて東京-大阪間で新幹線が開業した年。
P.D.ホワイト博士
Paul Dudley White(1886年-1973年)
アメリカ、ボストンに生まれる。ハーバード大学を卒業。マサチュセッツ総合病院心臓部門教授、名誉教授。
1924年、アメリカ心臓協会(AHA: American Heart Association)を設立。
アイゼンハワー大統領の主治医として三度まで心臓発作を治したホワイト博士は、世界の心臓病予防の父として広く尊敬を集めています。
1973年、87歳で永眠される直前まで世界各国に心臓財団設立の必要を説いて回られた心臓病予防運動のパイオニアです。
心臓病を予防し健康を永く保つための日常の心がけとして、"Don't grow fat nor smoke; Walk, walk and walk"(まず歩こう、タバコを吸うまい、太るまい)といわれました。
A.M.ベアー氏
Albert M. Baer
1964年5月に国際心臓財団後援会長としてホワイト博士とともに来日されました。
池田勇人首相と会談し、心臓血管病の重要性を説かれ、予防・制圧への日本政府の積極的な立ち上がりを要請されました。
日本心臓財団設立に際し、寄付第1号として100万円をくださいました。
1970年
大阪で日本万国博覧会が開催された年。
国際心臓連盟(ICF)
International Cardiology Federation
1970年、スイス、ジュネーブに本部を置く国際心臓財団を改組し、加盟各国の心臓財団の連盟組織としました。この年、日本心臓財団は世界で28番目の加盟となりました。