耳寄りな心臓の話(60話)『心房中隔を跨ぐ片頭痛』
『心房中隔を跨ぐ片頭痛 』
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
心房中隔の卵円孔を介して起こるという片頭痛や脳梗塞が話題になっています。心房中隔欠損孔のような大きな孔というわけでなく、健常者にもみられる小さな隙間が問題だというのです。生後に卵円孔が開存していても、壁の一部が一方通行弁として働いて、僅かに内圧の高い左から右への流れは遮断されているのですが、トイレでの「いきみ」や咳き込んだりで一瞬だけ右房圧が上がると、チェックバルブが機能できずに右から左への逆流が生じていまい、たまたま近くにあった静脈血栓が左房に流れ出て奇異性脳梗塞を起こし、肺を通らずに左心から直接脳動脈に向かったセロトニンなどの化学物質が片頭痛を起こすのではと推測されています。
胎児循環の仕組み
卵円孔は胎盤からの酸素を含んだ血液を下大静脈から左房へと導くための孔で、胎児循環の重要な仕組みの一つです。胎生期4?5週に心房中隔が形成される際に、中央部に卵形の隙間を残し、卵円孔と呼ばれます。胎児の肺から左房にもどる血液は極く少なく、このため臍帯から下大静脈を通る多くの酸素を含んだ血液の半分ほどが下大静脈弁(ユースタキ弁)によって卵円孔に導かれて左心系に入るという特異な胎児循環なのです。
しかし、生後はオギャッ!と自力で呼吸を開始すると、肺の血流量が増して左房圧優位となり、隙間を残すのみとなった卵円孔は逆流防止弁として働いて逆短絡は発生せず、機能的に閉鎖したことになります。2歳頃までに、多くは卵円孔が器質的(解剖学的)にも完全に封鎖し、卵円窩として凹みの痕跡を残すのみとなりますが、成人の15?25%での機能的に右から左へのルートが開存しているといわれます。これらの卵円孔開存例では斜めの隙間にソンデを通すと、右房から左房へは容易に抜けるものの、血流に対しては左房圧優位のためにチェックバルブが機能して問題ないとされてきました。
さらに、卵円窩付近の余剰組織として心房中隔瘤のみられることがあり、多くは右房側に逸脱して瘤内に静脈血栓のできることがあり、大半に卵円孔開存がみられるために奇異塞栓のリスクが高いとされています(図1)。
卵円孔を跨ぐ片頭痛・脳梗塞
通常は、卵円孔開存があっても一方通行弁が機能して臨床的には問題ないとされてきましたが、「いきみ」や咳き込んだ瞬間に右房圧が高くなることがあり、静脈血が卵円孔をすり抜けて左心に達し片頭痛や脳梗塞を起こす例のあることが報告されはじめました。もともと片頭痛の前兆期には血管収縮に働くセロトニン活性が亢進し、頭痛期には低下することが知られています。そこで、セロトニンなどの特殊な化学物質が、肺を通過せずに直接に脳動脈に達することで起こる反応ではないかと推測されています。
片頭痛の治療には長くアンチピリンが主体のミグレニン@が服用されてきましたが、セロトニン受容体作動薬のトリプタン系薬剤のイミグラン@とゾーミッグ@が登場して一変しました。ところが、片頭痛を持つ人は健常者に比べ脳梗塞を2倍起こしやすいといわれ、キラキラと歯車などが見える「閃輝暗点(せんきあんてん)」などの前兆を示す片頭痛例では、さらに脳梗塞のリスクが高いという報告があります。このような前兆をもつ片頭痛者の多くに、卵円孔の開存している可能性があるというわけです。
岡山大学病院の発表では、平成24年から過去に奇異性脳梗塞を起こした人の再発予防を目的として、心房中隔欠損孔や卵円孔のカテーテルによる閉鎖治療を実施しており、この中で奇異性脳梗塞39例中19例が片頭痛を経験し、その多くに前兆しての「閃輝暗点」を認めました。しかし、カテーテル治療後には13 例で片頭痛が全く消失し、5例では著明に改善したことがわかりました。現
在は脳梗塞を発症した例だけに再発予防としてカテーテル治療を行っていますが、今後は脳梗塞発症に関わらず片頭痛に困っている人でコントラスト超音波法などで卵円孔開存が認められた例には、静脈血中セロトニンを足止めさせる目的で、積極的にカテーテル閉鎖治療を行うということです(図2)。
「閃輝暗点」が生んだ名作
片頭痛は発作性に頭部の片側に起こる拍動性の激しい頭痛で、15歳以上の人の8.4%にみられるとされています。4?72時間持続するもので、片頭痛の起こる前に注視野に閃光を感じる「閃輝暗点」、嘔吐などの前兆を伴うことがあり、原因としては主に三叉神経血管説が提唱されてきました。すなわち、三叉神経から血管拡張作用のある神経伝達物質が分泌されると考えられているのです。その働きで、拡張し血管が神経を刺激して片頭痛が起こるという説です。
芥川龍之介の最期の短編小説『歯車』は、自殺寸前の凄絶な心象風景を、視野いっぱいに回転する歯車などの幻覚を軸に描いた傑作と説明されてきました。「僕は視野のうちに妙なものを見つけ出した。絶えず回っている半透明の歯車だった。歯車は次第に数を増やし、半ば僕の視野を塞いでしまう、が、それも長いことではない、暫くの後には消えふせる代わりに、今度は頭痛を感じ始める」。これは『歯車』からの抜粋ですが、この作品の中で度々彼を悩ませる幻覚と思った「歯車」こそが、片頭痛の前兆とされる「閃輝暗点」の正体だったのです(図3)。
このような片頭痛の前兆でみられる視野の中の色鮮やかな模様を描いて抽象的な雰囲気のある作品を生んだ画家や作家が他にも多く見られます。空や雲それに糸杉が独特の「うねり」や「よじれ」で表現され、星に放射線状に光線が出て取り巻いて正に片頭痛の前兆のような「星月夜」のゴッホ、シュールレアリズムの先駆をなし、前兆を伴う片頭痛に悩んだ「神秘的な小屋」のキリコなどです。70 歳まで丸一日続く頭痛に毎月一回の頻度で襲われていたという劇作家・評論家のバーナード・ショーらも挙げられます(図4)。
欠損孔のカテーテル閉鎖
すでに定着している心房中隔欠損のカテーテル閉鎖に用いるアンブレラ型のものを、小欠損孔用に小型化したものが応用されています。代表的なアンプラッツァ(Amplatzer)栓子は記憶合金・ニチノール製のワイヤメッシュで編まれた伸縮自在のデバイスですが、くびれを持つ大小の二重円盤で欠損孔を内外から挟み込むように工夫されています。経皮挿入には6?8Frのシースが用いられ、円形デバイスのサイズは4?40mmでくびれをもち、左房側のディスクが6?8mm大きめになっています。円盤のサイズに応じて長さや太さが異なり、先端が45度に曲がったデリバリ・シースを用います。通常は、カテーテル室で静脈麻酔をして透視下に行われます(図5)。
将来、卵円孔開存と片頭痛の関係が、より詳細に検証されることで、有望な片頭痛の治療手段になるかもしれません。
著者も、36歳女性からロンドン留学中に受ける予定の心房中隔小欠損/卵円孔開存に対する後述のアンプラッツァ法の相談があり、通常の欠損孔閉鎖術についての説明をしたことがありましたが、セント・ジョージ病院での施療後6 年が経過して帰国後の受診時には年に数回はあった「閃輝暗点」を伴う片頭痛は起こらなくなり、頭重感を時々感じるのみということで、胸部X線やCT画像では心房中隔を跨ぐ大小の円盤メッシュが認められました(図6)。
胎児循環の仕組み
卵円孔は胎盤からの酸素を含んだ血液を下大静脈から左房へと導くための孔で、胎児循環の重要な仕組みの一つです。胎生期4?5週に心房中隔が形成される際に、中央部に卵形の隙間を残し、卵円孔と呼ばれます。胎児の肺から左房にもどる血液は極く少なく、このため臍帯から下大静脈を通る多くの酸素を含んだ血液の半分ほどが下大静脈弁(ユースタキ弁)によって卵円孔に導かれて左心系に入るという特異な胎児循環なのです。
しかし、生後はオギャッ!と自力で呼吸を開始すると、肺の血流量が増して左房圧優位となり、隙間を残すのみとなった卵円孔は逆流防止弁として働いて逆短絡は発生せず、機能的に閉鎖したことになります。2歳頃までに、多くは卵円孔が器質的(解剖学的)にも完全に封鎖し、卵円窩として凹みの痕跡を残すのみとなりますが、成人の15?25%での機能的に右から左へのルートが開存しているといわれます。これらの卵円孔開存例では斜めの隙間にソンデを通すと、右房から左房へは容易に抜けるものの、血流に対しては左房圧優位のためにチェックバルブが機能して問題ないとされてきました。
さらに、卵円窩付近の余剰組織として心房中隔瘤のみられることがあり、多くは右房側に逸脱して瘤内に静脈血栓のできることがあり、大半に卵円孔開存がみられるために奇異塞栓のリスクが高いとされています(図1)。
卵円孔を跨ぐ片頭痛・脳梗塞
通常は、卵円孔開存があっても一方通行弁が機能して臨床的には問題ないとされてきましたが、「いきみ」や咳き込んだ瞬間に右房圧が高くなることがあり、静脈血が卵円孔をすり抜けて左心に達し片頭痛や脳梗塞を起こす例のあることが報告されはじめました。もともと片頭痛の前兆期には血管収縮に働くセロトニン活性が亢進し、頭痛期には低下することが知られています。そこで、セロトニンなどの特殊な化学物質が、肺を通過せずに直接に脳動脈に達することで起こる反応ではないかと推測されています。
片頭痛の治療には長くアンチピリンが主体のミグレニン@が服用されてきましたが、セロトニン受容体作動薬のトリプタン系薬剤のイミグラン@とゾーミッグ@が登場して一変しました。ところが、片頭痛を持つ人は健常者に比べ脳梗塞を2倍起こしやすいといわれ、キラキラと歯車などが見える「閃輝暗点(せんきあんてん)」などの前兆を示す片頭痛例では、さらに脳梗塞のリスクが高いという報告があります。このような前兆をもつ片頭痛者の多くに、卵円孔の開存している可能性があるというわけです。
岡山大学病院の発表では、平成24年から過去に奇異性脳梗塞を起こした人の再発予防を目的として、心房中隔欠損孔や卵円孔のカテーテルによる閉鎖治療を実施しており、この中で奇異性脳梗塞39例中19例が片頭痛を経験し、その多くに前兆しての「閃輝暗点」を認めました。しかし、カテーテル治療後には13 例で片頭痛が全く消失し、5例では著明に改善したことがわかりました。現
在は脳梗塞を発症した例だけに再発予防としてカテーテル治療を行っていますが、今後は脳梗塞発症に関わらず片頭痛に困っている人でコントラスト超音波法などで卵円孔開存が認められた例には、静脈血中セロトニンを足止めさせる目的で、積極的にカテーテル閉鎖治療を行うということです(図2)。
「閃輝暗点」が生んだ名作
片頭痛は発作性に頭部の片側に起こる拍動性の激しい頭痛で、15歳以上の人の8.4%にみられるとされています。4?72時間持続するもので、片頭痛の起こる前に注視野に閃光を感じる「閃輝暗点」、嘔吐などの前兆を伴うことがあり、原因としては主に三叉神経血管説が提唱されてきました。すなわち、三叉神経から血管拡張作用のある神経伝達物質が分泌されると考えられているのです。その働きで、拡張し血管が神経を刺激して片頭痛が起こるという説です。
芥川龍之介の最期の短編小説『歯車』は、自殺寸前の凄絶な心象風景を、視野いっぱいに回転する歯車などの幻覚を軸に描いた傑作と説明されてきました。「僕は視野のうちに妙なものを見つけ出した。絶えず回っている半透明の歯車だった。歯車は次第に数を増やし、半ば僕の視野を塞いでしまう、が、それも長いことではない、暫くの後には消えふせる代わりに、今度は頭痛を感じ始める」。これは『歯車』からの抜粋ですが、この作品の中で度々彼を悩ませる幻覚と思った「歯車」こそが、片頭痛の前兆とされる「閃輝暗点」の正体だったのです(図3)。
このような片頭痛の前兆でみられる視野の中の色鮮やかな模様を描いて抽象的な雰囲気のある作品を生んだ画家や作家が他にも多く見られます。空や雲それに糸杉が独特の「うねり」や「よじれ」で表現され、星に放射線状に光線が出て取り巻いて正に片頭痛の前兆のような「星月夜」のゴッホ、シュールレアリズムの先駆をなし、前兆を伴う片頭痛に悩んだ「神秘的な小屋」のキリコなどです。70 歳まで丸一日続く頭痛に毎月一回の頻度で襲われていたという劇作家・評論家のバーナード・ショーらも挙げられます(図4)。
欠損孔のカテーテル閉鎖
すでに定着している心房中隔欠損のカテーテル閉鎖に用いるアンブレラ型のものを、小欠損孔用に小型化したものが応用されています。代表的なアンプラッツァ(Amplatzer)栓子は記憶合金・ニチノール製のワイヤメッシュで編まれた伸縮自在のデバイスですが、くびれを持つ大小の二重円盤で欠損孔を内外から挟み込むように工夫されています。経皮挿入には6?8Frのシースが用いられ、円形デバイスのサイズは4?40mmでくびれをもち、左房側のディスクが6?8mm大きめになっています。円盤のサイズに応じて長さや太さが異なり、先端が45度に曲がったデリバリ・シースを用います。通常は、カテーテル室で静脈麻酔をして透視下に行われます(図5)。
将来、卵円孔開存と片頭痛の関係が、より詳細に検証されることで、有望な片頭痛の治療手段になるかもしれません。
著者も、36歳女性からロンドン留学中に受ける予定の心房中隔小欠損/卵円孔開存に対する後述のアンプラッツァ法の相談があり、通常の欠損孔閉鎖術についての説明をしたことがありましたが、セント・ジョージ病院での施療後6 年が経過して帰国後の受診時には年に数回はあった「閃輝暗点」を伴う片頭痛は起こらなくなり、頭重感を時々感じるのみということで、胸部X線やCT画像では心房中隔を跨ぐ大小の円盤メッシュが認められました(図6)。