耳寄りな心臓の話(第38話)『僧帽弁は法王の冠』
『僧帽弁は法王の冠 』
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
医学用語には、ある物に形が似ているからと、その名前をつけたものが少なくありません。しかし、ラテン語などの外来語を日本語に訳したものでは、国内の実情にそぐわない馴染みのない名称もみられます。ここでは僧侶の帽子に由来しているとされる、心臓の僧帽弁、背中の筋肉である僧帽筋、それに心臓毒で外国では僧帽とも呼ばれるトリカブトについてまとめてみました。僧侶の帽子といっても宗派や位によっても異なり、それぞれが外観の異なる僧帽に由来していることが分りました。
コンクラーベという秘密会議
先日(2012年9月)軽井沢の万平ホテルを会場に、「僧帽弁を極める」という副題の付いた正式にはマイトラル・コンクラーベ Mitral Conclaveという心臓外科医を中心にした国際会議が開催されました(図1)。
米国胸部外科学会(AATS)との共催でニューヨーク・マウントサイナイ病院のアダムス S.Adams先生と慶大・四津教授が主宰するということで、招待され参加しました。
左心房と左心室に跨がる弁膜がマイトラル・バルブ mitral valve /僧帽弁と称される謂れについては、ローマ法王や枢機卿(すうききょう)が被るミトラ mitreと呼ばれる帽子に似ていることから来ているのです。この司教冠とも呼ばれるミトラ mitreの前後が三角に突き出た特異な形については、聖霊降臨日に使徒たちの頭上に裂けた舌のようになって降り注いだ炎を象徴しているといいます(図2)。
そのローマ法王を選出する枢機卿による秘密会議がコンクラーベ Conclaveであり、彼等が被る帽子との因縁で「僧帽弁を極める」という心臓外科医の専門家会議をMitral Conclaveと称したものと想像されます。この秘密会議のコンクラーベでは会場に隔離されたような120人の枢機卿による投票で2/ 3以上の大多数で法王が選出されるまで朝から晩まで何度も投票が繰り返され、この間外部との連絡は一切御法度で、正に枢機卿たちの根競べ(こんくらべ)といったもののようです。
先の法王パウロ二世が亡くなった2005年には、ミケランジェロが天井画を描いたというあのシスティナ礼拝堂でコンクラーベが開かれ、何回かの投票で新しいローマ法王にドイツ・バイエルン地方出身のベネディクトウス十六世が選ばれましたが、この時礼拝堂の屋根に新しく取り付けられた煙突から白煙が立ち上って広場に待機した信者たちに決定を知らせ、鐘が響き渡って新しい法王の誕生を祝ったということです。
逆さミトラが僧帽弁
さて、僧帽弁に関する専門家会議では枢機卿による秘密会議のConclaveの流用が許されるとしても、もう一つの大事な弁膜である大動脈弁に関する会議ではAortic Conclaveなどと称するのは無理というものでしょう。同じイタリアでシチリア島の秘密結社が起源のマフィアがアメリカ大都市では有名で、「華麗なる一族 Great Gatsby」に因んで同じGreat Arteryである大動脈や大動脈弁の専門家の集まりをAortic Mafiaと称したのでは顰蹙を買うことになるでしょうか。
会議の直前になって、司祭冠・ミトラのどこが僧帽弁に似ているのかという疑問がわいてきました。急場凌ぎに折り紙の技法をインターネットで学び、兜をはじめ各種の帽子を折って比較してみました(図3)。その結果、法王らが被った司祭冠Mitreそのままではなく、この帽子を逆様にひっくり返して心臓に容れるとピッタリ僧帽弁に代わることが分りました(図4)。
翌日、まさか会議の最中に発言というわけにも行かず、一段落した夕方の宴会前に主宰者のAdams先生と研究室員数人の前で、俄か仕込みの折り紙の実演とともに司祭冠・ミトラの由来を辻説教し、一件落着となった次第です。
僧帽筋はカプチーノから
一方、背中の大きな筋肉の僧帽筋は同じ僧帽といいながらも、司祭冠・ミトラとはかなり形の異なる帽子に由来しているようです。こちらは修行中の修道士の頭巾で、カトリック教会の一派カプチン会修道士Monkが被る茶色で尖った頭巾付きコートに見立てて修道士のフードmonks hoodすなわち僧帽といっているのです(図5)。
因にカプチン(Caputin)会は、16世紀初頭にフランシスコ会から刷新を目指して分派した厳格な修道生活を基本としており、その会名も修道服についている先の尖った頭巾・カプチーノcaputinoから来ているようです。イタリアといえば、エスプレッソ・コーヒーにスティームミルクなどを加えたカプチーノが有名ですが、響きがよく似ていると思いましたら、正に茶色のエスプレッソを囲む盛り上がったミルクが茶色の尖った頭巾を連想することからのようです。最近では,カプチーノの泡の表面に文様やイラストを描き出すラテ(牛乳)・アート、デザイン・カプチーノが流行のようです(図6)。
さて、僧帽筋は背中の浅層にある大きな三角形の筋肉で肩甲骨を動かし固定する働きがありますが、左右合わせますと確かに修道服の頭巾の後ろ姿にそっくりになります。この筋肉については、もともとラテン語でM. cucullalis僧帽筋となっていましたが、現在ではM. trapeziusすなわち台形の筋肉となっていて、実際のところ僧帽筋なる名称は日本だけで用いられていることになります。
トリカブトも僧帽・鉄兜
もうひとつ、心房細動や心室性不整脈を誘発するなど心臓毒性の強いトリカブトも欧米では僧帽monks hoodと呼ばれています。華岡青州が通仙散を用いて乳癌の摘出術に成功したのは文化2(1805)年とされていますが、この麻酔剤の主成分がトリカブトで、晩夏に青紫の兜状の美しい花を付けることからの命名です。
学名がアコニチンのトリカブト( 鳥兜) は、英語圏では僧帽/修道士のフード/monks hood、ドイツでは鉄カブト/ Eisen-hutなどと、いずれも帽子になぞらえています(図7)。トリカブトの根に含まれるアコニチンの毒性は植物では最高であり、古代ギリシャの哲学者アリストテレスも中毒死したとされ、中世には各国の帝王が国事犯の処刑に用いたり、反対に王自身が難に遭った幾多の記録が残されています。
国内でも、トリカブト中毒死を狙った保険金目当ての事件が散発しており、犯人逮捕に至らない一件を「トリカブト事件も鉄カブト入りか」との週刊誌の見出しに、編集者の知識はさすがと思ったものでした。
会議の直前になって、司祭冠・ミトラのどこが僧帽弁に似ているのかという疑問がわいてきました。急場凌ぎに折り紙の技法をインターネットで学び、兜をはじめ各種の帽子を折って比較してみました(図3)。その結果、法王らが被った司祭冠Mitreそのままではなく、この帽子を逆様にひっくり返して心臓に容れるとピッタリ僧帽弁に代わることが分りました(図4)。
翌日、まさかの会議の最中に発言というわけにも行かず、一段落した夕方の宴会前に主宰者のAdams先生と研究室員数人の前で、俄か仕込みの折り紙の実演とともに司祭冠・ミトラの由来を辻説教し、一件落着となった次第です。
僧帽筋はカプチーノから
一方、背中の大きな筋肉の僧帽筋は同じ僧帽といいながらも、司祭冠・ミトラとはかなり形の異なる帽子から由来しているようです。こちらは修行中の修道士の頭巾で、カトリック教会の一派カプチン会修道士Monkが被る茶色で尖った頭巾付きコートに見立てて修道士のフードmonkshoodすなわち僧帽といっているのです(図5)。
左心房と左心室に跨がる弁膜がマイトラル・バルブ mitral valve /僧帽弁と称される謂れについては、ローマ法王や枢機卿(すうききょう)が被るミトラ mitreと呼ばれる帽子に似ていることから来ているのです。この司教冠とも呼ばれるミトラ mitreの前後が三角に突き出た特異な形については、聖霊降臨日に使徒たちの頭上に裂けた舌のようになって降り注いだ炎を象徴しているといいます(図2)。
そのローマ法王を選出する枢機卿による秘密会議がコンクラーベ Conclaveであり、彼等が被る帽子との因縁で「僧帽弁を極める」という心臓外科医の専門家会議をMitral Conclaveと称したものと想像されます。この秘密会議のコンクラーベでは会場に隔離されたような120人の枢機卿による投票で2/ 3以上の大多数で法王が選出されるまで朝から晩まで何度も投票が繰り返され、この間外部との連絡は一切御法度で、正に枢機卿たちの根競べ(こんくらべ)といったもののようです。
先の法王パウロ二世が亡くなった2005年には、ミケランジェロが天井画を描いたというあのシスティナ礼拝堂でコンクラーベが開かれ、何回かの投票で新しいローマ法王にドイツ・バイエルン地方出身のベネディクトウス十六世が選ばれましたが、この時礼拝堂の屋根に新しく取り付けられた煙突から白煙が立ち上って広場に待機した信者たちに決定を知らせ、鐘が響き渡って新しい法王の誕生を祝ったということです。
逆さミトラが僧帽弁
さて、僧帽弁に関する専門家会議では枢機卿による秘密会議のConclaveの流用も許されるとしても、もう一つの大事な弁膜である大動脈弁に関する会議ではAortic Conclaveなどと称するのは無理というものでしょう。同じイタリアでシチリア島の秘密結社が起源のマフィアがアメリカ大都市では有名で、「華麗なる一族 GreatGatsby」に因んで同じGreat Arteryである大動脈や大動脈弁の専門家の集まりをAortic Mafiaと称したのでは顰蹙を買うことになるでしょうか。