耳寄りな心臓の話(第30話)『心臓に毛が生える』
『心臓に毛が生える 』
北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943 -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943-
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
或るものに毛が生えたようなものというと、少しプラスアルファの部分があるだけで大したことがないという意味にとられます。ところが、心臓に毛が生えたとなると、かなり様子が違ってきます。元来、心臓が強いとか、厚かましいというときに、心臓に毛が生えているようだと言うからです。しかし、生身の心臓を数多く手にしてきましたが、毛の生えた心臓には一度もお目にかかったことはありません(図1)。
心臓が強い、弱い
心臓は胸の中程にあって、血液を循環させるポンプ役として収縮を繰り返す肝心要の臓器です。この心臓の力が弱まると心不全と呼ばれる状態になり、なんらかの強心療法が必要となります。ところが、一般に心臓が弱いといっても本当の心臓病ではなく、意思が弱いとか引っ込み思案だといっているのです。反対に心臓が強いとなると、意思がつよいとか時には厚かましいという意味にもなってしまいます。
漢字の『心』は心臓の形をもとにした象形文字であり、古くは心臓が生命の源であるとともに思考する場所でもあると考えられていたからに他なりません。このように、心臓は体の中心にあって心の依りどころであり、心臓が強いとか弱いとかは心臓の機能の問題ではなく、心の持ちようを推し量っていることが分かります(図2)。
心臓の毛生え薬
恋愛にも心臓の強弱が大きくかかわります。愛の女神ビーナスの隠し子とされるキューピッドは愛の使者として多くの善男善女に愛されてきました。背負った二本の矢のうち、鋭い黄金の矢が心臓の中心を射止めると恋は成就してハッピーエンドとなるのですが、鈍い鉛の矢の方が中心を外れて心臓を掠めてしまうとブロークンハートとなって、恋は破局を迎え傷心のあまりに落命も危ぶまれます(図3)。
恋は盲目といわれ、ブロークンハートは破れかぶれの心臓とも訳されますから、ヤケを起こして自暴自棄になりかねませんが、この手の心臓の傷には手の施しようがありません。
昔から草津の湯につかっても恋の病は治らず、薬万能の現代にあっても恋の病の特効薬は見つかっていません。
いっそのこと心臓に毛を生やして積極的になりなさいと言いたいところですが、実際問題として、心臓に毛の生えることはあるのでしょうか。毛は皮膚の保護、体温の保持、触覚などに役立っており、手の平や足裏などを除いてはほとんどの体表面を覆っていますが、内臓である心臓には毛など生える余地はありません。したがって、当世流行の毛生え薬を付ける場所もありませんし、飲んでも無効ということになります。
鎧をまとった心臓
南米の一部には今でも恋敵とは拳銃などでの真剣勝負で決着をつけるという風習が残っているようで、時々地方紙の三面記事を賑やかにしています。痴話喧嘩は犬も食わないというものの、傷を負った本物のブロークンハートには心臓外傷として救急医療を施すしかありません。
ピストルの弾や短剣が心臓を貫通すると相応の出血があり、心臓を包む心膜にも大きな傷があるときは胸腔が一杯になるまで出血し、そのまま失血死してしまいます。ところが、心膜の傷が小さいと心臓から流れ出た血液は心膜腔にたまって心タンポナーデと呼ばれる状態になりますが、一時はもちこたえます(図4)。
急ぎの処置で心膜腔にたまった血液を排除できれば救命につながるのですが、後に心膜炎の起こることが多いのです。しかも、長い経過中には繊維性変化から石灰化が起こり、ついには心臓全体を固く包み込んで鎧心(よろいしん)と呼ばれる状態になることもあります。これら慢性期の収縮性心膜炎では心臓の拡張が不十分となり、鬱血を起こして肝硬変や腸管での蛋白吸収障害を来すようになります。鎧をまとった心臓は一見強いように思えますが、実は拡張が十分にできない弱った心臓なのです。この鎧心のままでは、いくらキューピッドが狙いを定め恋心を誘いだそうとしても、固い殻に囲まれた心臓を射貫くことはできないだろうと想像されます。
心臓の毛ぬき
実際の収縮性心膜炎では強心薬や利尿剤を用いても心不全症状がとれない時には、やむなく手術となります。胸を開けて心臓と心膜とが堅固に癒着した部分を剥いでゆくのですが、石のように堅い部分もあれば未だ繊維性のままで蜘蛛の巣のように糸を張り巡らしたような箇所も見られます。これを心臓の周りに生えた毛と言えないこともありません。
しかし、この繊維はいくら贔屓目に見ても心臓を強くしているとは言えず、いわゆる心臓に毛の生えたようなものにすぎません。といいますのも、この心臓の状態は決して健康なのではなく、この際あっさり降参して鎧を脱ぐ手術に期待するしかありません。手術では心臓の周りから余分な殻を切取り、心臓が伸び伸びと収縮・拡張を操り返せるようにすることで、新たな息吹を取り戻します。心臓に生えた毛抜きにも似た手術で鎧を脱ぎ活気を取り戻した心臓で再び恋に陥れば、今度こそキュ-ピッドの鋭い黄金の矢が心臓の中央を射貫くこと間違いなしです(図5)。
鎧のおどし毛
心臓の毛については多少強引に心膜炎のなせる業として話を進めてきましたが、世間的には以下の見方が真っ当なのではと考えます。一般に胸毛が多いとか毛深いというと、野性的で勇猛果敢というイメージに結び付きます。昔、熊襲(くまそ)と呼ばれた九州地方の豪族や毛人の字をあてた東北也方の蝦夷(えみし)などについても、毛深くて勇猛な部族であったろうとの印象が強く伝わります。
また、胴や胸を防護する武具の鎧にしても鉄や練り皮で作った小板を横に重ねて編んだ縅おどし毛で相手を威嚇していたようで、ここでも毛深いことを勇猛であることにつなげています。このように、心臓に毛が生えたとか心臓に毛を生やすといった表現も、毛深い豪族や鎧の毛の示す勇猛果敢さにあやかって生まれ、現代になって物事に動じない心や厚かましい態度といった意味になったものと思われます。
心臓の毛生え薬
恋愛にも心臓の強弱が大きくかかわります。愛の女神ビーナスの隠し子とされるキューピッドは愛の使者として多くの善男善女に愛されてきました。背負った二本の矢のうち、鋭い黄金の矢が心臓の中心を射止めると恋は成就してハッピーエンドとなるのですが、鈍い鉛の矢の方が中心を外れて心臓を掠めてしまうとブロークンハートとなって、恋は破局を迎え傷心のあまりに落命も危ぶまれます(図3)。
恋は盲目といわれ、ブロークンハートは破れかぶれの心臓とも訳されますから、ヤケを起こして自暴自棄になりかねませんが、この手の心臓の傷には手の施しようがありません。
昔から草津の湯につかっても恋の病は治らず、薬万能の現代にあっても恋の病の特効薬は見つかっていません。
いっそのこと心臓に毛を生やして積極的になりなさいと言いたいところですが、実際問題として、心臓に毛の生えることはあるのでしょうか。毛は皮膚の保護、体温の保持、触覚などに役立っており、手の平や足裏などを除いてはほとんどの体表面を覆っていますが、内臓である心臓には毛など生える余地はありません。したがって、当世流行の毛生え薬を付ける場所もありませんし、飲んでも無効ということになります。
心臓が強い、弱い
心臓は胸の中程にあって、血液を循環させるポンプ役として収縮を繰り返す肝心要の臓器です。この心臓の力が弱まると心不全と呼ばれる状態になり、なんらかの強心療法が必要となります。ところが、一般に心臓が弱いといっても本当の心臓病ではなく、意思が弱いとか引っ込み思案だといっているのです。反対に心臓が強いとなると、意思がつよいとか時には厚かましいという意味にもなってしまいます。
漢字の『心』は心臓の形をもとにした象形文字であり、古くは心臓が生命の源であるとともに思考する場所でもあると考えられていたからに他なりません。このように、心臓は体の中心にあって心の依りどころであり、心臓が強いとか弱いとかは心臓の機能の問題ではなく、心の持ちようを推し量っていることが分かります(図2)。
或るものに毛が生えたようなものというと、少しプラスアルファの部分があるだけで大したことがないという意味にとられます。ところが、心臓に毛が生えたとなると、かなり様子が違ってきます。元来、心臓が強いとか、厚かましいというときに、心臓に毛が生えているようだと言うからです。しかし、生身の心臓を数多く手にしてきましたが、毛の生えた心臓には一度もお目にかかったことはありません(図1)。