耳寄りな心臓の話(第28話)『心臓病のフレンチ・パラドックス』
『心臓病のフレンチ・パラドックス 』
北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943 -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943-
川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
食べ物が西欧並になり高齢化社会になったこともあって、日本でも狭心症や心筋梗塞などの虚血性心疾患に罹る人が増加しています。年齢やタバコ、高血圧、糖尿病などの影響も大きいのですが、なんといっても血液中のコレステロール値が高くなる高脂血症が一番の危険因子なのです。ところが、フランスでは近隣諸国と同じに脂肪摂取量が多いというのに心筋梗塞による死亡者が一番少ないというのです。この因果関係が一見逆にみえる現象はかなり以前からフレンチ・パラドックス(逆説)と呼ばれて、不思議なことの一つにあげられてきました。
所変われば水変わる
所変われば品変わると、旅に出たら先ずは水に注意するようにとよく言われます。初めての外国で、ホテルの冷蔵庫から取り出した瓶入りの水を口にした途端、ガス入りの水だったので驚いたことがあります。ハイボールに用いるソーダ水と間違えたかと思ったほどでしたが、今では外国に行ってもガス抜きの水をとオーダーするようにしています。しかし、ガス入りの水の方がよいとボトルで買い求める日本人も増えたといいますから、大変な様変わりです。
フランスの水道水は硬水ということもあって、家庭にあってもガス入りのエビアンやペリエ水を飲むことが多いといいますが、その舌で評価したギド・ミシュランの3つ星、4つ星といった店の味が我々日本人にも通用するのかと疑問に思ったことがあります。
また、水代わりというわけでもないのでしょうが、フランス料理にはワインが付き物で、実際にフランスでは大人一人当たり400ml、通常の瓶は780mlですからハーフボトルのワインを毎日飲んでいる計算になります。エチルアルコールに換算すると38gとなり、日本酒では約2合、ビールなら大瓶2本に相当します。酒を飲まない人やお年寄りも含めた平均ですから、多くの成人がボルドーかブルゴーニュワインなのかは別として毎日ボトル1本を空けている勘定にもなります(図1)。
乳脂肪量と心臓死比率
そもそもの発端は世界保健機構(WHO)によって組織されたプロジェクトの発表(1989年)からで、冠動脈疾患とくに心筋梗塞で死亡する人はアジアでは少なく欧米では何倍も多いということでした。例えば日本では人口10万人当たり年間男性では33人、女性では9人、中国では男性49人、女性27人の死亡に対し、アメリカでは男性182人、女性48人、イギリスでは男性380人、女性132人が死亡しているというのです。
このように、欧米での冠動脈疾患による死亡率を日本と比べると、男性では6~12倍、女性で5~13倍も高いことが分かります。ところが、ヨーロッパ諸国の中で比べますとフランスだけが冠動脈の死亡率が特別に少なく、男女合わせてドイツやオランダの1/2、イギリスやデンマークの1/3程度なのです。
フランス人の食生活とくに乳脂肪消費量をみましても近隣諸国とあまり変わらないのにということで、大量のワインの消費がその要因ではないかと大々的な調査が始まったのです(図2)。
赤ワインか白ワインか
ブドウの皮も一緒につぶして発酵させたのが赤ワインで、この果皮には渋みのもとになるタンニンやフラボノイドと呼ばれる色素が含まれ、これらをひっくるめてポリフェノール化合物といいますが、この果皮を使う点に赤ワインの秘密があったのです。
動脈硬化の進むメカニズムとしては、動脈壁で血小板が凝集した部位にコレステロールが沈着して動脈硬化が起こり、徐々に血管を狭めます。もともと3~4mm程の直径しかない冠動脈壁に動脈硬化がはじまると、内腔が狭くなったり詰まったりして血流が不足し、狭心症や心筋梗塞が起こります。このような動脈硬化を来すメカニズムを、赤ワインに含まれるポリフェノール化合物が抑制しているのだというのです。
脂肪分を多く摂取すると血液中に悪玉コレステロールと呼ばれるLDLが増え、これが酸化するとコレステロールを血管壁に付着させてしまいます。ところが、赤ワインに含まれるポリフェノールがLDLの酸化を防ぐことで動脈硬化が進まないことが明らかになったのです。数あるポリフェノールの中でも、「レスベラトロール」が主役を演じていることも判明しました。このようにして、フランス人の脂肪摂取は多いのに心臓疾患で倒れる人が少ないというフレンチ・パラドックスの謎が解き明かされたのです(図3)。
さらには、フランスの赤ワインとドイツワインについての比較実験では、フランスのブルゴーニュやボルドーの赤ワインはドイツワインに比して2倍程度の「レスベラトロール」の含まれていることをドイツの研究者がつきとめています。果皮の含まれない白ワインの方は、飲み口は爽やかですが、これらの効果はあまり期待出来ないということになります。
認知症予防にも朗報
最近になって、赤ワインに含まれる「レスベラトロール」が脳を刺激し、記憶に関係する神経細胞を増やす働きのあることを日本の大学の研究グループが突き止めたという報道がありました。認知症の予防にも赤ワインの効果があることは、すでにフランスのボルドー大の研究で判明しており、高齢者の追跡調査で赤ワインを毎日グラス3~4杯ずつ飲み続けた人は全く飲まない人に対してアルツハイマー病の発症率が4分の1だったという報告です。
これらの研究では赤ワインに含まれる「レスベラトロール」に着目し、マウスに赤ワインを3週間飲ませ続けての結果ということです。脳ドッグなどで脳機能を検出するFDG-PET(陽電子放出断層撮影法)検査を行いますと、認知症では後側頭葉の海馬付近のブドウ糖摂取率が低下していることがわかっており、脳内で比較的新しい記憶をとどめる役割のある「海馬」の神経細胞が、ワインを飲ませなかったマウスに比べて2倍に増え、迷路を脱出させる訓練も半分の時間でゴールに達したということです(図4)。